遺族は納得していません。 通知が守られず事故が発生したこと、それが問題視されていないこと、そこに対策がないまま再発防止策が作られること。

被害者としての思い

私の息子は生還した。大田原高校の山岳部として参加しあの隊列にいた。生還はしたが一時、心は死んだようだった。仲間を失った事や助けられなかった事、自分が生き残ってしまった事すべての事が罪悪感になって彼にのしかかった。それでも周りの人達に助けられながら今日という日を生きている。

仲間に生き抜くと誓いをたて必死に生きてる。遺族の方の苦しみには程遠いが、この件に関わった人達はみな苦しんでいる。あの日息子が行方不明との連絡を受け安否確認ができるまでの数時間は地獄のようだった。遺族の方々は今もなおあの苦しみの中にいるかと思うと本当に胸が痛む。一日でも早く原因の究明と責任の所在をはっきりさせる事が、遺族の苦しみを和らげる唯一の事ではないかと考える。教育委員会や高体連の遺族に寄り添ってとの言葉が時々、軽く聴こえる事がある。寄り添って考えていたならば質問に対する回答が、たったの一行だったり報告がA4一枚なんてことはあり得ない。それでも遺族の中には相手を気遣い非難する事ばかりなっていないかと考えている方もおられる。しかし先方からは再発防止策や今後の事ばかりで事故の事は置き去りになっている。本当に遺族に寄り添う気持ちがあるのならまず謝罪と責任をしっかりとってから事を進めてもらいたい。反省無きところに再発防止策は成り立たない。ビーコン一つとってもただ持たせればいいのか。そんな事はないはずだ、持つ人間が使えることが前提だし、ビーコンを持つという事は災害が発生した場合、救助に参加する事を意味する。確かに雪崩のような一刻を争う事態になれば仲間の救助活動が生死を分けることもあるだろう。しかし高校生にビーコンを持たせてしまったら二次災害の危険もある中で救助活動をしなければならない責任が生じる。はたして高校生の部活動としての範疇でそこまでしなければならないのか疑問である。そういった事まで考えて県はビーコンを購入する事を決めたのだろうか。もしその一点だけでも、考えが抜けているのなら、そういった所こそが問題で今回のような事故が起きたのではないか。遺族に寄り添うなら、自分の身に置き換えて考えてみれば自然と辿り着く答えだと思うが、いっこうにそのような様子は見られない。遺族は今も一筋の光も見えない闇を彷徨っている。光明を見出してあげらるのはあなた達だと言いたい。もうすぐ一年が経つ。

息子や仲間たちの身に起きたこと返す返すも無念だ。

 


コメント

  1. AAA より:

    はじめまして。那須雪崩事故の経過について注視していた者です。
    検証委員会の報告書等も読みましたが、事実の解明には程遠いなという印象です。
    一番足りていないと感じるのは、当事者の行動原理が見えてこないところにあります。
    いろいろな思いはありますが、それはまた。ここではビーコンについての私見を。

    ・ビーコンは訓練しなければ使いこなせない。
    ・ビーコンで捜索しなければならないという状況では既に手遅れの可能性が高い。
    ・生存者の早期発見と言うよりは、遺体の早期発見という用途であるのが実情。
    ・装備がないから救助活動できないというのは当事者にとってトラウマになる(それが自己満足でも救助に全力を尽くせない)。

    ビーコンを所持するということは、雪崩に巻き込まれる危険性のある場所に踏み入れる覚悟をしているということです。高校生であろうと山は区別してくれません。登山は自己責任です。覚悟がないのであれば、雪山には登ってはいけません。つまり、ビーコンは不要です。
    もし覚悟があるならば、それは部活動でやるべきことではありません。

    ※雪山とは、季節、場所に関係なく、雪のある斜面全般です。

    • mashi より:

      コメントありがとうございます。そうですね私もビーコンが必要な登山は高校生の部活でやるべきではないと考えています。AAAさんがおっしゃるとおり装備がなければ救助活動が出来ない事は確かだと思います。しかしそもそも教育の一環である部活ではそういった装備がなければならない場所は控えるべきでしょう。組織には再発防止を検討するならそういう議論もして欲しいのです。装備を揃えれば解決するような認識ではまた繰り返します。たからこそ事実の解明が必要不可欠になると思います。
      AAAさんのような登山に明るい方の意見大変参考になりました。ありがとうございます。

  2. 村田ナオミ より:

    私は元公立高校の教諭ですので、この事故には注目していました。学校は一般的に大変慎重で、少しでも危険の可能性があれば、回避するのが普通なので、正直驚きました。それは責任を取りたくないためなのですが、今回は危険な行動をした上に、責任を回避しようという二重に問題のある内容になっているようです。
    体育系の先生は上の方の意見が絶対という雰囲気があるのも原因の一つかもしれません。事故の原因解明も必要ですが、学校現場の体質にもメスを入れる必要があるかもしれません。
    ただこれは私自身現場にいて出来なかったことであり、文部科学省を含めてのことなので、問題が大きすぎるでしょうか。
    いずれにせよ私自身親でもあり、この事故のことは決して忘れないと思います。

    • mashi より:

      村田様コメントありがとうございます。なるほど広義でとらえれば先生もまた被害者なのかもしれませんね。ならばなおのこと監督する組織にはしっかり責任をとってもらいたいものです。誰も責任をとってくれない組織なんてありえません。こういった考えが大きな流れになれば良いと思います。また「決して忘れない」とのお言葉、ありがとうございます。

  3. 橋本 より:

    身内を事故で亡くす同じような体験をしたものですから事故当日から重い気持ちが続いています。
    雪崩事故当日テレビのテロップを見て大きな事故でなければいいなと思いつつニュースを見続けました。大田原赤十字病院へ搬送されたことなどを知り、身内の事故の時私自身が事故当日知らせを受けてからの時間が思い出されなんともいたたまれない気持ちになりました。
    HP開設の報道を聞き皆様のお気持ちを知りたいと思い読ませていただいています。「なぜこのような事故が起きてしまったのか」「原因はなんなのか」「責任の所在は」「二度と起こさないようにするためにはどうすればいいのか」等々同じ気持ちで過ごしました。今までどのような安全対策を取ってきたのかという県教育委員会への要望も当たり前のことだと思います。
    昨日の県議会での教育長の答弁、もっと早く皆様の前でするべきだったと思いました。
    まだまだ辛い時期を過ごされると思います。想いを抱え込まず吐露していってください。

    このようなことここで聞くべきことではないと考えますが書かせてもらいます。3月27日追悼式が行われますが、慰霊碑の設置はおこなわれるのでしょうか?事故現場への設置、環境省への折衝を含め栃木県の責任で行うべきだと考えています。

    • mashi より:

      橋本様、ご自身もお辛い中でお気遣いいただきありがとうございます。
      まったくもってその通りだと思います。私個人の気持ちですが、教育長の答弁も信頼関係の崩れた今になって言われても、何か裏があるのかな?などと穿った見方をしてしまう悲しい自分がいます。
      また慰霊祭も正式な謝罪も責任もとっていないのにやるのかという思いです。今のところ参加するつもりはありません。慰霊碑に関しては設置の案は出ているようですがまだかと思います。
      いずれにしても色々な事が置き去りになっている今、何をやってもご遺族の目にはパフォーマンスにしか写らないのではないでしょうか。
      コメントありがとうございました。
      橋本様もどうぞご自愛ください。

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