遺族は納得していません。 通知が守られず事故が発生したこと、それが問題視されていないこと、そこに対策がないまま再発防止策が作られること。

教師とは、教育現場の学校とは、教育組織とは一体何なのだろうか?

息子を亡くしてから、はや一年。遺族会や教育委員会、登山専門部、高体連、マスコミ、大田原高校の先生や生徒、登山の専門家、警察、被害者支援の弁護士、カウンセラー、県の議員の方など本当に色んな方とお会いし、話を聞き、ネットや本などでも色んな情報を得る機会がありました。

私は今になって改めて、息子を亡くすまでは先生や学校を本当に信用していたんだなあと思います。学校は安全、部活ではそんな危ないことはしないだろう、学校や先生達は優秀な方の集まりだから、生徒の安全に配慮して学校生活の指導をしてくれていると。
実際にそうなのでしょう。けれども学校も先生も完璧ではない。どんな優秀な人間だって組織だって必ずミスをするのである。弁護士の先生から「教師はスーパーマンじゃない」という言葉を聞くことがありました。

本来学校の先生とは、教育者であり、勉強を教える事がメインな仕事かなと思います。学校は授業を行い、同級生や先輩、後輩、先生達と関わりながら、行事や委員会、部活動も行い、人間としての成長やコミュニケーションなど色んな事を学べる場所です。学校という中で子供達を指導しているのが先生です。その指導している先生が、授業よりも部活の指導に一生懸命になりすぎたらどうなるでしょう?自分が間違った判断をした時に優秀であるがためにプライドが高くなってしまい、間違いを認める事ができなくなってしまったらどうなるのでしょう?

今回の検証委員会でも出た話ですが、「複数校が参加する講習には安全管理として山のプロガイドを1名雇えばいいのでは」という意見に、「部活は教育活動なのだから、教師が行うのが筋」という所に固執されたとのことでした。正直、何のために大金(税金)をかけて検証委員会を開いたのか全く理解できず、無意味。これだけの死者のでる事故を起こしても、外部の人間に頼らなくても、自分達がメインで部活をやるのが正しいというのが、先生方の意見です。登山の研修を受ければ大丈夫、勉強すれば大丈夫というレベルではないと思うのですが。今回の「春山安全登山講習会」には引率教員が11名参加されていました。ご自身が学生の頃から登山を経験されていた方や、登山講習を受けていた先生方、顧問をやるからには皆さん何かしら勉強されていたと思います。しかし今回の講習会では11名の顧問の先生の中で事前準備や正しい判断、指導を行えた先生はいませんでした。預かっていた子供達を無事に返すことが出来なかったという、この事実をしっかりと受け止めているのであれば、責任を感じているのであれば、ありえない対応だと思います。

専門家の方では今回の講習会を「殺人講習会」とおっしゃられた方がいました。今回の講習会では何一つ、安全登山講習を行えていないのである。先生方は登山経験を積み、講習を受けていたにも関わらず、間違った指導しか出来なかったのである。子供の安全を確保する以前に先生自身が自分の身を守ることが出来ていないのでは、子供を守ることなど到底できません。

カウンセラーの派遣、安全対策、そして「このような事故を2度と起こさない」との発言をいたる所で聞きます。しかし山岳部に限らず、学校の部活動での死亡事故は今に始まったことではなく、繰り返し起きているという事実があります。死亡事故が起きてもそれでも強豪校では部活の顧問は名誉顧問などと呼ばれて、教職員を普通に続けていられるという話も聞きました。事実を知れば知るほど自分がいかに甘かったか、先生や学校を信用しすぎていたのかと色々考えてしまいます。

子供がテストで悪い点数をとったとします。テストで2度と悪い点数を取らないために対策をたてました。問題集をやる計画を立てます。けれど実際は計画を立てただけで問題集を全てやることができませんでした。結果はもちろん良い点数は取れません。対策を立てても、その後の結果や結果を出せなかった時の対応や対策まできちんとやらなければ意味がありません。山岳部の死亡事故は過去にも起きていて、対策も立てているのにそれが守られていない。死亡事故が起きて「2度と同じ過ちはおかさない」と発言しても死亡事故は、また実際に起きました。

学校の先生は、大学を卒業されて、一般の会社で働くことはなく、そのまま学校に就職されます。私立の学校の先生もおられますが、大体の方は公務員になられます。学校の中ではもちろんベテラン教師という自分より年上で教師としての経験も豊富な方とも一緒に仕事をします。しかし自分が勤務中の大半の時間、相手にするのは子供である。自分より年下で力も知識も発言力もない子供が相手である。生徒を指導する立場であり、少し強めの口調で話をしただけでも子供は威圧感を感じると思います。常に自分より弱い人間を相手に仕事をするという事は、自分の意見や指導が間違っていても全て通ってしまうことを常に頭に入れておかなければいけないということです。

今回の事故でも教育委員会、登山専門部、高体連など優秀な学校の上の組織の方が沢山かかわっておられます。それでも一年経った現在でも、遺族や被害者に要望した事に対する回答、事故に関しての詳しい説明、現在の事故対策の進捗状況などの返答は一部しかありません。これだけの大きい事故があっても、安全対策の途中であっても山岳部は活動を普通に続けていますし、これが普通なのでしょうか?栃木県の教育組織の中に「これではダメだ。安全対策を早急に仕上げなければ」と声を上げてくれる方はいないのでしょうか。
「モンスターペアレンツ」との言葉を浴びせる方もいますが、私からみれば、学校や教育者のほうが、強大なモンスターであって、私達数名の、遺族や被害者がいくら声をあげても声は届かなくて、今回の事故で亡くなった8名の命など軽いものなのでしょうか?

この一年の間、何回も何回も「うちの子供はもう居ないんだ。本当に死んだんだ」という事を再確認してきました。生きている中で、どのタイミングでと言う訳でもなく、ふと「ああ、そっか。うちの子居ないんだ」「学校にも行かないし、受験もしないんだ」「当たり前か。お葬式をして、その後自分の手で火葬場に子供を連れて行き、燃やしたんだ。」葬儀の時はまだ子供の顔を見ていられた。子供に触ることが出来た。なぜ、親の手でまだ10代の自分の子供を骨にしなくてはならなかったのか。

いつものことだが、キツイ文章で、自分でも書いていても言いたい事が上手くまとめられません。
ホームページという場所で自分の言いたい事だけを一方的に書いていても、気分のいいものではありません。後ろめたいようなまるで悪いことをしているような気分になります。それでも何もしないでいると、今回の事故で亡くなった8名が最初からこの世に存在しなかった、事故なんて起きてないよ、と言われている気がします。

先生方は学校で起きた事故はなるべく、事を大きくしないように、静かに時間が経って何も無かったかのようになる事を待っておられるのでしょうか?公の場で「誠意のある対応をする」「同じ過ちをおかさない」と発言されたのであれば、有言実行での対応を早急にお願いしたいのですが、このまま時間だけが過ぎていくのでしょうか?いつか私達が疲れて声をあげることすら出来なくなる日がくるのが先なのでしょうか?

リンク 栃木県那須雪崩事故


コメント

  1. 英治 より:

     トドさんの文章をうなずきながら読みました。
    親は学校を信頼して子供を通わせ(預け)ているんですよね。
    先生(教師)は生徒(子供)の安全や健康を第一に考えて行動するものと信じて、親は子供を学校に行かせているのですよね。 朝、元気に「行ってきます。」と行って学校に行った子が、もう声も聞けない姿で戻ってくるなんて思いもつきませんよね。それが本当に起こってしまったのです。
     トドさんが『きつい文章・・・』も無理はありせん。 『この一年間、何回も何回も・・・』の記述にはおかけする言葉が見つかりません。
     この事故、事件と言うべきかもしれません、に対する県(教員、学校、教育委員会等)の態度は誠実さを欠いていると思います。
     御GU父さんの文章にありました、県教委から郵送物が届いた、というのも全く誠意を欠いているように見えます。

     ご遺族の皆さん、どうぞご自愛なさいますように。

  2. 消防団員です より:

    部活問題の根深さ、は、改善されないですね。
    大学アメフト部の報道もそうですが、絶対服従で。
    先生がたも、休みなく働いて。
    なんでこんなことが許されるのか?

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