遺族は納得していません。 通知が守られず事故が発生したこと、それが問題視されていないこと、そこに対策がないまま再発防止策が作られること。

登山の引率は教員でないとダメなのでしょうか?

どうして教員が引率することにこだわるのでしょうか?

どうして教員が登山を引率することにこれほどこだわっているのでしょうか?

那須雪崩事故の検証委員会の中で再発防止策について話し合われた際、山岳ガイドなど外部の力を借りることについても議論されたそうです。山岳ガイドの同行を必須とするように再発防止策の提言に盛り込むことについても議論があったそうですが、高校登山を引率した経験のある委員から「部活動である山岳部の引率は教員がすべき」との意見があり、そういった記述は盛り込まれなかったと漏れ伝わってきています。

教員の引率にこだわっていることをうかがい知ることのできるような例として、検証委員の一人だった長野県の教員の方が書かれた山岳部の活動などを記した以下のような記述があります。

中信高校山岳部かわらばん(2018.07.11)

(前略)
7月7 日、栃木県教育委員会に招かれて、山岳部の顧問と生徒の皆さんとともに学ぶ機会をいただいた。第1 部では、顧問の皆さん対象に「高校山岳部顧問になるということとは」という題をいただいて1 時間お話しした。約20 名の先生方が参加され、非常に熱心に話を聞いてくださった。
(中略)
事故を受けて、責任の重さからこんなつらい思いをして、顧問をしなければならないのかという先生もあるやに聞いていた。また、専門外の登山という種目の顧問として何をどう指導できるのかという思いもあるという。
(中略)
「自身の力不足」や「自然のもともと持つリスクとそれに対する責任」をまじめに考えれば、山岳部の顧問などしたくないという気持ちになるのも無理からぬことである。しかし、だからといって、そこから目を背けていいということにはならない。自らが技術や知識を身に着け、安全教育の観点を十分に認識しながら山岳部の生徒を育てるという高い志を持ちたい。

専門外の登山部の顧問を強要され、登山を引率することに不安を抱えている教員に対して「そこから目を背けていいということにはならない。」として顧問をすることを強要しているように思えます。今後も顧問教員を主体とした山岳部の活動体制は守り抜き、その体制にこだわっているように読み取れます。

また、この教員は国立登山研修所の会報「登山研修」のvol.33の「高校生の積雪期登山を考える」という寄稿では以下のようなコメントを述べておられます。

高校生の積雪期登山を考える

(前略)高校山岳部の冬山も含む積雪期の活動について、スポーツ庁も絶対禁止という考え方はとっていない。資料に掲げた通り、全国で多くの学校が積雪期の山で生徒に雪山の素晴らしさや危険を学ぶために活動をしている。その際に鍵となるのは、そういった活動を企画し、実践できる顧問の指導力である。未成年者であり、技術的にも発達段階にある高校山岳部の活動は、顧問の力量如何にかかっている。
高体連登山専門部として、積雪期の山で指導のできる顧問の育成を本腰を入れて考える時期にきており、各ブロックまた、都道府県単位で指導者養成の講習会を、企画することが求められている。

那須雪崩事故の結果を受け、出てきた言葉が「積雪期の山で指導のできる顧問の育成を本腰を入れて考える時期にきており」なのでしょうか。

一体何を言っているのでしょうか? 本気で言っている言葉なのでしょうか?

今後も登山経験もない教員を無理矢理顧問に仕立て上げて育成し、中途半端な知識と独りよがりの自信をもった顧問を量産して生徒・教員の生命を危険にさらし続けるつもりなのでしょうか。
那須雪崩事故では登山歴30年もあるベテランと呼ばれる教員が引率して事故を引き起こし、登山の経験もない新任教員が巻き込まれて亡くなっています。この事実をどのようにとらえているのでしょうか。

なぜこうまでして教員の引率による登山にこだわるのか理解に苦しみます。

登山ガイドのようなプロの手を借り、任せれば良いように思えます。
そうした方が中途半端な知識をもった教員に引率されるより生徒・教員の安全を守ることができ、教員の負担も軽減できるのではないでしょうか。


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