遺族は納得していません。 通知が守られず事故が発生したこと、それが問題視されていないこと、そこに対策がないまま再発防止策が作られること。

バカの連鎖をとめてください

立山登山の記憶

私は栃木県出身ではなく、富山県の出身です。
今ではどうかわかりませんし、私の学区だけだったのかもしれませんが、30年以上前は富山県下の小学生は6年生時に学校登山で必ず立山連峰の雄山(おやま、標高3,003 m)に登山することが恒例となっていたと記憶しています。  

私も6年生の時に学校登山で立山に登山をした記憶があります。標高2,432mの室堂までバスで行き、そこから登山しました。その時の学校の安全に対する配慮については今となってはわかりません。二百数十人の小学生と教員が一斉に登山していたのですから十分だったとは思えませんし、何人も高山病で気分が悪くなっていたことは覚えています。

途中でライチョウを見かけたり、頂上の神社にちょうどヘリが荷物を運ぶところに遭遇したりして楽しめた記憶があります。それ以外の記憶はもはやはっきりとは覚えていませんが、結構疲れた登山だったという印象も残っています。それでも小学生が登れてしまう山で、比較的容易に登山できるルートであるのだろうと私の意識に刻み付けられました。

恥ずべき軽率な行動

ここから私自身の恥ずべき話をします。

まだ20代の若いころ、標高2,432mの室堂まで車で行き、勢いで小学生のころ登った雄山に登山したことがありました。

ゴールデンウィークの時期です。今では自家用車の乗り入れが制限されていますが、その当時はまだ室堂まで自家用車で乗り入れることができました。自分の車で室堂まで行き、有名な雪の回廊を見て引き返して帰るつもりでした。
しかし、その年は暖冬で、雪の回廊の高さが低く、少し残念な気持ちになりました。その残念な気持ちを解消するために、「ついでに雄山の頂上までいってみるか」ということになり、そこから頂上向けて山道を登り始めました。   小学生でも登ることができたという間違った認識で登山を軽く考え、軽率な行動をとりました。恥ずべきことです。当然装備もなにもなく、防寒ということで少し厚着ではありましたが軽装で、悪天候への対策も何も考えず登りました。それでもその日は快晴で、天気の崩れもなく、なんとか頂上まで登ることができました。
しかし、空気が薄いためか呼吸と心拍が乱れ、最後は数十メートル歩くごとに座り込んでしまうはめになりました。軽率に登ったことを後悔しました。

それ以降は懲りて、登山自体行うことはありませんでした。


コメント

  1. 井川治 より:

    バカの連鎖をとめてください 」大いに共感します。猪瀬氏は、公認スポーツ指導者資格の何を取得していたのでしょうか?
    その講習内容は、雪崩の危険を教えるなどのことはなく、雪上の歩行などの技術を教えるだけだったようです。」ということは、安全管理ができていたのか、低体温の知識はあったのか、どのていどあったのか?事故のニュースを聞いた時、積雪が1晩で30cmあったならゲレンデでのワカンやアイゼン歩行、すそ野の斜面でピッケル操作など基本訓練に変更しなかったのか?疑問に感じました。結論は、雪山での基本知識がなかったようですね。

    • AAA より:

      猪瀬教諭の会見での発言が本心からのものであれば、「あ、この人何もわかってないな。」ってのが私の感想でした。
      でも、那須であそこまで登って雪崩に遭ったのは猪瀬教諭の指示ではないでしょうし、彼に責任はないと思いますよ(もちろん立場上、広義の意味での責任はあると思いますが)。

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