遺族は納得していません。 通知が守られず事故が発生したこと、それが問題視されていないこと、そこに対策がないまま再発防止策が作られること。
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弔問に来ない

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遺族は赦(ゆる)したがっている

今まで散々文句を言い続けていますので信じてもらえなくても結構ですが、私は息子の命を奪った教員や教育委員会や学校といった組織の罪をいつの日か赦したいと思っています。思っているではなく願っていると言った方が適切かもしれません。おそらく他の遺族も同じような気持ちなのではないかと思います。

すぐには受け入れることはできないかもしれないけれど、精一杯の謝罪の気持ちや事故を繰り返さないという決意を見せていただき、いつかは彼らの謝罪を受け入れて赦すことができる日が来ると信じていました。事故後に信じていたことは以前にこちらに書かせていただいています。

しかし、彼らに謝罪の気持ちがないのであれば赦しようがありません。

自分たちが安全配慮を怠ったことによって奪ってしまった命への弔意と謝罪の意を示すことは最低限の礼儀であると思います。彼らの心のうちを量ることはできませんが、少しでも人としての気持ちが残っているのであれば形式上であっても命日やお盆には各家庭を弔問するでしょう。

まるで自分たちには何も非がなく、自分たちも被害者なんだと開き直っているように思えます。
赦しなんて必要ない、と息子たちや私達遺族に後ろ足で砂をかけているようにすら思えます。

このような形式上の礼儀すら無視するようでしたら彼らの心のうちには弔意や謝罪の気持ちは残っていないと思うしかありません。いつの日か彼らの罪を赦すことができるようになると願っていますが、このような息子らの死を悼む気持ちも残っていない彼らを赦す日は来ないのかもしれません。

どんな顔をして教壇に立っているのか

教員らは息子たちへの弔意を示すこともなく、事故を忘れて日常生活に戻っています。
事故前と変わらず教壇に立ち、部活動の顧問すらしています。

どのような顔をして生徒たちの前に立っているのでしょうか?

教壇に立ち数学などの教科を教え、部活動の指導までしているのになぜ弔問に来て息子たちに手を合わせることはできないのでしょうか?

自分たちの非を認めず、謝罪や弔意も示さない教員の姿に生徒たちは何を感じるでしょうか?

生徒の命を奪っておきながら弔問にも行かず平然と教壇に立つ教師を見て、生徒たちは何を学べばよいのでしょうか?

教師としてのプライドはないのでしょうか?

許しがたい現実です。

コメント

  1. マシショウ より:

    新聞を見て呆れました。まだこんな事をしているのかと。どれだけ遺族の神経を逆撫ですれば気が済むのだろうと。事実被害者である当家にも事故当初、猪瀬教諭がみえただけでした。肝心の一斑を率いていた菅又教諭と現場にいた渡辺教諭に二名には来ていただいておりません。教育委員会を通して手紙も出しましたが、やはり安定のゼロ回答です。このような場で意見するのも担当していただいた県職の方にはもうしわけないと悩みましたが、いい加減にしてほしい。訴訟もかんがえていないただ一人の人間として話をしましょうと申し上げているだけなのですが、そんなに難しい事なのでしょうか。

  2. エイジ より:

    もう、あきれて言葉がでてきません。
    2017年のどの記事だったか、新聞記者(多分、産経新聞)が登山部の教員に取材に行ったとき、彼は
    「もうあの事は忘れたいんだ。」
    と言って立ち去った(去ろうとした)というのを読んで私は唖然としました。
    『忘れたい』なんて言葉がすぐに出るということは、常にそう思っていたということではないでしょうか。全然反省していませんね。
    『取り返しのつかないことをした。このことを決して忘れちゃいけない。』なんてことは思ってもいない。どういう人間なんだ?と思いました。
    ひどいのは、引率した教員たちだけではありません。当時の校長は人事異動で大田原高校を去り、定年後は私立学校に再就職したんですね。引率教員たちは5ヶ月の謹慎後、職場に復帰しました。そしてとうとう弔意も示さなくなった。
    元校長、この教員たち、学校で子供たちに何を教育してるのでしょうか。子供たちはこんな大人たちをどう思っているのでしょうか。子供たちへの影響を考えるとくらい気持ちになります。

    被害者の会の皆様へ
    寒いですね、どうぞご自愛なさいますように。

  3. 通りすがりの栃木県人 より:

    当事者の一人の教員は、伝え聞く話ですと、休職と復職を繰り返して教員という立場にしがみついているようです。教員としての職務をまっとうに行使できないなら退職すべきですし、むしろ懲戒免職になっていてもいいくらいです。本当にどんな思いでそんなことを繰り返しているんだろうと、人間としての良識を疑います。それを認めている栃木県にも疑問を感じます。もしそれで満額ではないにしろ給与が出ているとしたら、絶対に許せないです。本当に教員どもの対応には憤りしか感じません。

    この事件は絶対に風化させてはいけません。

    ご遺族の皆様、春は名のみでまだ寒い日が続きますが、ご自愛ください。

    • エイジ より:

      おはようございます。

      森さんのおっしゃるとおりです。
      学校という特殊な環境で社会人としての感覚が麻痺してしまうのかもしれませんね。
      共催の追悼式、無神経な人々と同席することはとても辛いし怒りも湧くと思います。

      皆様、どうぞお身体大切に。

  4. 森ヒロシ より:

     取り返しのつかない事故の加害者側としての責任の取り方を考えるとき,1985年8月12日の日本航空123便墜落事故を思い起こします。当時の日航の社長は高木養根という東大出のエリートでしたが,その責任をとって1985年すぐに退任しています。
     かなりの年配ではありましたが,続けていれば相当な給与・役員報酬が得られたはずです。そして,その後も個人の資格で遺族への慰問行脚をしたほか,毎夏,群馬県上野村の御巣鷹の尾根に慰問登山を続けたことはよく知られています。遺族への弔問・慰問も死ぬまで続けたのではないかと思います。
     また,歌手のさだまさしに「償い」という歌がありますが,この歌は実際にあった交通事故をもとに作った歌とのことですが,歌詞は,加害者であるサラリーマンが,交通事故で男性を殺してしまった。その事故死の男性の奥さんは,土下座して謝る加害者にあなたを決して許さないと言っていたのですが,毎月の給与のたびにその女性に償いとしてお金を贈り続ける,そして10年くらい後にだったか,相手の女性から,もう気持ちはわかった,もうやめてください,あなた自身の生活を取り戻してくださいとの手紙を初めてもらって,ようやく許されたのだと感じたといった内容だったと思います。

     失われた命は二度と帰ってこない,残された遺族は生涯,亡くなった人のことを思い続けていくということを加害者側はキチンと受け止めていって,どうすれば少しでも償えるのかを考えていくと,一つに気持ちの表し方として,やはり被害者の方々が,それ程までに弔問してくれなくてももう良いというまで,弔問・慰問していくしかないように思うし,責任の取り方として現在の職から退くということしかないのではないかと思います。どちらもしないというのは,この人たちはどういう神経をしているのか疑われるし,やがて被害者遺族の方たちが,忘れてくれるとでも思っているのでしょうか。とんでもないことです。

  5. 通りすがりの栃木県人 より:

    こんにちは。今年ももうすぐ3月27日がやってきます。ご遺族の方の心中、お察し申し上げます。

    さて、県立高校の教員の異動が新聞に載っていました。当事者の一人であるWは宇都宮高校に異動ということで、まだのうのうと教員をやっているのですね。しかも県下一の進学校への異動。どんな顔して教壇に立つのでしょうか。それともまた休職でもして教員の立場にしがみつくのでしょうか。本当に怒りしか覚えません。

    この怒りをどのように処理すればいいのでしょうか。ご遺族の方々の怒りに比べたら、私の怒りなんてちっぽけなものですが、でも本当に栃木県の対応には怒りしか覚えません。

    お身体に気を付けて。

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