遺族は納得していません。 通知が守られず事故が発生したこと、それが問題視されていないこと、そこに対策がないまま再発防止策が作られること。

とちぎモデル とは?

今後の高校山岳部のあるべき姿とは

熱意だけでは安全は守れない

那須雪崩事故からしばらくして、ある高校の山岳部の顧問をしている若い教員の方と話す機会がありました。この教員は那須雪崩事故発生を受け、登山事故防止の使命感と熱意に満ちあふれているようでした。

「顧問教員向けの登山の講習をいくつも受け、登山とは、引率するとはどのようなことなのかわかってきた気がする」、「これからも登山に関して勉強し、講習をいろいろと受けて安全登山に努めたい」と目を輝かせて言ってきました。

私はこの考えを聞いて苦笑いするしかありませんでした。

「個々の教員の努力も大切だが、登山の素人の教員が山岳部顧問となったしても安全が守られる制度設計の方が大切なのではないか」「あなたのような事故防止の心がけは大切だが、教員の生活を犠牲にしなければ成立しないような部活動に先はないのではないか」と私の気持ちを伝えました。

しかし、私のこの気持ちが彼に伝わった気はしませんでした。

ちなみにこの熱意のある若い教員は後日異動で山岳部のない高校へ転任となりました。現在は別のスポーツの部活動の顧問をしているようです。このようにいくら熱意を持って登山の勉強をし、経験を積んだとしても山岳部のない学校に転任してしまえば意味のないことです。後任の顧問教諭が同じような熱意を持っていることを祈るだけとなります。

こんなこともあり、山岳部の安全性は教員の熱意だけで解決できる問題ではないように思えます。

信頼できる教員とは

教員が山岳部顧問を要請された際、このように「登山の勉強をして講習も受けて安全登山に努めます」と言う教員を私は信頼することはできません。自分の力を過信し、無茶をする教員となってしまう未来を想像してしまいます。私はそんな教員よりも「なぜこんな危険で重大な責任を負わせるようなことをやらせるんですか」と文句を言う教員の方がよほど信頼することができます。

このような文句を言う教員は、自分に知識や経験が不足していることを自覚しているので無茶はしないでしょう。危険を感じたなら「できません」と言い、「やるのであれば安全性を判断できる専門家を連れてきてください。」と言ってくれると思います。このような教員の方が信頼して子供を預けることができます。

一般的に言って教員は真面目で頑張り屋な方が多いようなので「子供たちのために」を合言葉に「なぜ」と思うような危険なことも頑張ってやってしまうのでしょう。それが例えできないはずのことであったとしても。
そして、それを繰り返すうちにできないはずのことを「できる」と錯覚し、根拠のない自信を身に着けた「ベテラン」と呼ばれる教員となってしまうように思えます。

那須雪崩事故を引き起こした教員たちは、きっと山岳部の顧問としての使命感と熱意に満ち溢れた「ベテラン」だったのではないかと思います。そして安全に目を向けることなく、できないことを「できる」と過信して危険な斜面に足を踏み入れてしまったのではないでしょうか。そんな彼らを赦すわけにはいきません。そして今後もそのような教員を信頼することはできません。

若い教員のみなさんにはできないことに対して「やります」「頑張ります」と言うのではなく、「できない」と言える教員になっていただくことを望みます。

山岳部はどうあるべきなのか

できないことを無理にやるのではなく、できないことを前提にしてどうするべきか考えていただきたいと願います。無理をすることには必ず危険が伴います。できないことを「できる」と錯覚するような「ベテラン」の教員には消えていただきたいですし、若い教員がそういった「ベテラン」にならないことを祈ります。

そして今後、山岳部の活動に限らず学校での活動すべてにおいて根拠のない自信を身に着けたベテランと呼ばれる教員の無謀な判断と行動によって若者の命が失われることがなくなることを切に願います。

そういった願いをもとに、無理をせず、それでも山岳部を存続させるためにはどうすべきなのか考えたその答えのひとつが「とちぎモデル」です。とは言え、所詮素人が考えたことですので、これが正解だとは言い難いかもしれません。

ではどうすればいいのでしょうか?
山岳部はどうあるべきか、そして部活動はどうあるべきなのか、これは「とちぎモデル」をスタートラインとして教員や教育委員会のみなさんに考え続けていただきたい課題です。

安全に終わりはありません。


コメント

  1. 大江隆夫 より:

    「とちぎモデル」に賛意を表するものですが、外部の登山専門家(資格を持ったガイドなど)からアドバイスを受けたり、あるいは実際の登山に同行するような場合、彼らに支払う費用の負担についてはどのように考えられますか。
    費用負担の方法が「とちぎモデル」の鍵になると思います。無償のボランティアでは継続は難しいと思います。

    • 御GU 父 より:

      費用については議論すべき課題です。
      登山に同行する外部人材は当然無償のボランティアではなく、相応の料金を支払うべきです。

      個人的考えを述べさせていただくと、私はその費用は保護者が支払うべきだと考えています。
      参加人数で頭割りして支払えばそれほどの額にはならないのではないかと思いますし、登山の頻度もそれほど多くはないはずなので、負担する額が他の部活動と比較して突出することにはならないはずです。

      また、県教委とこの点について議論したことがあります。
      彼らの考えでは登山に同行する登山アドバイザーは教員がすべき仕事を補助しているのだから県教委が出すべきだとの意見でした。実際、現在栃木県の高校山岳部で運用されている登山アドバイザーへの謝金は県教委から支払われています。

      県や県教委はこれだけの事故を起こしてなお学校での登山活動を継続するという決断を下したのですから、県教委が金銭的にも責任をもって支払うという選択もありかとも思います。ただし、同行する登山アドバイザーの資格や要件を決定する権限を持っているのも県教委なので、予算を出し渋るがために登山アドバイザーの同行を認めなかったり、料金の安い資格をもたないいい加減な登山者をあてがったりする懸念があります。この場合はそうならないためのルール作りと監視が必要です。

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