高裁判決が出てから、まもなく二か月が経とうとしています。
時間がたてば、少しは冷静になれるのではないか、少しはこの結果を受け止められるのではないかと思っていました。
しかし、今の私の率直な気持ちは、まだ何ひとつ整理がついていない、というものです。
講習会責任者と2班引率者が執行猶予に 那須雪崩事故・控訴審判決 8人死亡の1班引率者は実刑維持 (下野新聞社 2027.3.4)
二人の被告に執行猶予が付いたことが、どうしても受け入れられません。
有罪判断そのものは維持されました。事故の責任そのものが否定されたわけではありません。
それでも、八人もの命が失われたこの事故に対して、二人に執行猶予が付くという結論を前にすると、私にはどうしても「本当にこの事故の重さが受け止められたのか」と思えてなりません。
この事故は、防ぐことができた事故でした。
避けられない自然災害として片づけられるものではなく、危険を前にして適切な判断がなされていれば、息子たちは死なずに済んだはずの事故です。
だからこそ私は、この裁判で本当に問われるべきものは、単に現場で何が起きたかだけではなく、危険を前にしながら訓練を実施するという判断をしたこと、その判断の重さだったのではないかと思っています。
私は、一審判決には、その重さを正面から見ようとする姿勢があったと感じていました。
しかし高裁判決は、有罪判断を維持しながらも、最終的には二人に執行猶予を付しました。
そのことが私には、「責任は認めるが、その責任の重さまでは引き受けさせない」と言われたように感じられてなりません。
それが悔しく、苦しく、今も心の中に重く残っています。
さらに、私の気持ちをいっそう苦しいものにしているのは、このような判決であるにもかかわらず、被告側から上告がなされ、検察側は上告を断念したことです。
遺族としては、この高裁判決では事故の教訓が十分に残らないのではないか、意思決定をした責任の重大さが軽く扱われてしまうのではないかという強い危惧がありました。
それなのに、責任を問われた側はなお争い、より責任を明確にしてほしいと願う側の思いは、そこで止められてしまう。
この理不尽さを、私はどう受け止めればよいのか、いまだに分かりません。
九年という時間は、あまりにも長すぎました。
息子を失ってからの九年は、ただ悲しみの中にいただけの時間ではありません。
なぜあの事故が起きたのか、なぜ止められなかったのか、なぜ子どもたちがあの場所に行かなければならなかったのか。
その問いに向き合い続け、裁判のたびに苦しみ、被告の姿勢にも傷つきながら、それでも真実と責任を明らかにしたいという思いでここまで来ました。
私は、ただ厳しい処罰だけを求めてきたわけではありません。
息子の死を、そして亡くなった八人の命を、単なる「不幸な事故」で終わらせたくなかった。
同じような事故を二度と繰り返させないために、この事故が何を教えるのかを社会に残したかった。
その思いでここまで来たからこそ、今回の判決とその後の経過を前にして、息子の命の重さが社会の中で少しずつ薄められてしまっているような恐ろしさを感じています。
もし、これほどの事故であっても、訓練を実施するという判断をした責任が重く受け止められないのだとしたら、この事故は本当の意味で教訓にならないのではないか。
もし、意思決定の重さが十分に問われないのだとしたら、また同じように「あのとき止めていれば」と後から悔やむ事故が起きてしまうのではないか。
私は、それが本当に怖いのです。
そして何より怖いのは、時間がたつことで、この事故そのものが過去の出来事として処理され、息子の命までが「仕方のなかったこと」のように薄れていってしまうことです。
それだけは、どうしても耐えられません。
高裁判決から二か月近くがたってもなお整理がつかないのは、私が感情的だからではないと思っています。
この事故の重さに対して、社会から返ってきた答えがあまりにも足りないと感じているからです。
息子の命が失われた意味を、このまま曖昧にしてはいけないと思っているからです。
私は今も、二人に執行猶予が付いたことに納得していません。
被告側がなお争い、検察側が上告を断念したことにも、強い理不尽さを感じています。
そして、このままでは息子の命が本当に無駄になってしまうのではないかという恐れを、どうしても消すことができません。
それでも、だからこそ、言葉にして残さなければならないと思っています。
判決に納得できないことも、理不尽だと感じていることも、この事故を教訓として残したいという思いも、すべて含めて記録し、伝え続けていくしかないのだと思っています。
亡くなった子どもたちは、もう戻ってきません。
息子も戻ってきません。
だからこそ、その命が何だったのかを、残された私たちが問い続けなければならない。
この事故は回避できた事故だったということ、その責任を曖昧にしてはならないということ、その教訓を社会に残さなければならないということを、これからも私は訴え続けていきます。



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