遺族は納得していません。 通知が守られず事故が発生したこと、それが問題視されていないこと、そこに対策がないまま再発防止策が作られること。

大田原高校

5年前の今日、2015年8月7日、息子と一緒に大田原高校に行きました。
それが息子と私が初めて大田原高校を訪れた日でした。

それは中3の受験前の高校の下見のひとつでした。その日は私と息子の二人でいくつか宇都宮方面の高校を見て回り、昼を過ぎてから大田原高校に向かいました。
通学の感触も得たかったため、車ではなく電車で学校に向かい、駅からバスで行くつもりでした。しかし、最寄りの西那須野駅に着いてみるとバスは2時間待ちで、どうも朝夕の通学の時間帯以外はバスがほとんど走っていないようでした。仕方がないので一度家に帰り、車で大田原高校に向かうこととしました。

大田原高校

着いてみると、大田原高校は宇都宮の街の中にある高校とは異なり、広々とした印象を受けました。そして校舎の前に立派な庭があり、学校の伝統を感じさせるものでした。
私が通った県外の高校にも立派な前庭があり、高校時代を思い出させてくれるような雰囲気を感じました。

「いい雰囲気だな。お父さんはここ気に入ったよ。どう思う?」

そう言うと息子は

「そうだねー。」

とだけ答えていましたが、その顔はまんざらでもないようでした。

もしかしたら私がこのようなことを言わなければ息子は別の高校に入っていたのかもしれません。別の高校に入学していれば命を落とすこともなかったでしょう。そう思うとこんなこと言わなければよかったと思うときもあります。

しかし、私はこんな事故があっても大田原高校を嫌いにはなれません。
息子もきっとそうでしょう。ずっと通い続け、卒業したかったことでしょう。そして私が前庭を見て高校時代を思い出したように、年をとってから高校時代を思い出し、大田原高校に通ったことを誇りに思いたかったことでしょう。

しかし、それは叶いませんでした。

消し去りたい存在なのか

私や息子の思いとは裏腹に、大田原高校は事故の痕跡とともに息子たちが在籍したこと自体を消し去りたいのだろうと感じることが今までに何度もありました。

慰霊碑を建てるとの申し出はありましたが、そこに事故の痕跡や息子らの名前を残すことは頑として拒絶されています。
卒業アルバムには息子らの名前や痕跡は何もありません。息子は入学式の写真の列の中に一枚だけ小さく写っているだけです。それでもその小さく写っている息子を探し出し、学校が息子や私たち遺族に気を遣ってくれたのかと思いました。しかし、亡くなった子の中にはそのような小さな写真一枚すらない方もいると聞き、たまたま写っているだけだと思い知りました。もしかしたら小さく写っていた息子も本当だったら消し去りたかったぐらいだったのかもしれません。

大田原高校は息子たちが在籍した証しを何も残すつもりがなく、学校にとって息子たちは那須雪崩事故とともに消し去りたい存在になってしまったようです。

「お父さんはここ気に入ったよ。」

5年前の今日私がそう言ってしまったことを後悔し、大田原高校を嫌いとなってしまわないよう、誠意ある対応を学校に望みます。


コメント

  1. 大江隆夫 より:

    大田原高校の内情についての知識、情報は全く持ち合わせていませんが、普通に考えるとこのような雪崩事故で犠牲となった高校生諸君および教師の名前を碑に刻み、忘れないようにすることが大切だと思います。不幸にして犠牲になった方たちのご冥福を祈るとともに後に続く人々へ事実を語り続け、警鐘を鳴らす意味でも。
    日本国内いや世界どこでも災害や事故で亡くなった方の名前を記した慰霊の碑を作る際は名前は記すと思います。何故そうしないのか何か理由があるのでしょうか?

    • うさこ より:

      この記事の書き方に御幣があるのです。
      決して学校側が名前を刻むことに難色を示しているのではなく
      遺族のご家族の一人が、刻みたくない旨を学校側に伝えているから
      学校側は、一方的に名前を刻んだ慰霊碑を設置できないでいるのです。

      今回の事故は被害者の数が多かったことが
      事故後の対応、ご遺族の方々の考えも多岐にわたっているのです。

      何が良くて、何が悪いとは言えませんが
      ただ、ご遺族の中で統一していることは
      「同じような過ちは2度と起こして欲しくない」
      という事です。

      皆さん同じ方向を向いているのに、
      未だに県との間に溝があることが非常に悲しく、切なく思います。

      亡くなった8名の御霊が救われるよう、国、県で
      しっかりとした道(改善策)を示してくれればいいのですが、
      今のところ県にはその能力が無いので
      残されたご遺族が不憫でなりません。

  2. 御GU 父 より:

    記事中で慰霊碑の件について誤解を招くような表現を使っておりますので、少し言葉を加えさせていただきたく、コメントいたします。

    慰霊碑についてここに書いたことは、一般的に見ると語弊があり、言い過ぎの表現であることを認めます。学校側は亡くなった息子たちのことを大切に思っているはずだと一般的には信じられているでしょうから外部からみてそのように思われるのは妥当なことです。

    しかし事故後の学校側の対応をずっと目の当たりに見てきた私にとってはこの言い過ぎの表現こそが妥当な表現です。

    学校側と対峙し、その対応をずっと見てきた結果、「大田原高校は事故の痕跡とともに息子たちが在籍した事実すら消し去りたいのだろう」と思い至りました。
    私にとってはこの言い過ぎととられる表現が偽りのない気持ちであり、事実です。

    あまりにも一般的な価値観とはかけ離れているため、そんなことを学校が考えているなんて私自身思いもよりませんでしたし、信じたくはありませんでした。
    そのため、この解釈に至るまで相当時間が掛かりました。しかし、そうとしか思えない対応が数多くあり、そう解釈することが自然であると思い至りました。

    これは実際に学校側と対峙した者にしかわからないことでしょうから、一般的に見て遺族が感情的になってヒステリックなことを訴えていると捉えられても仕方がないことだと思います。理解されないのは当然のことです。
    しかし一般的な価値観から「学校側はさすがにそのようなことは思っていないはずだ」と言われたとしても、遺族である私の考えを変えることはできません。

    なぜこのような対応をとるのか学校側の真意はわかりません。
    「大田原高校と言えば那須雪崩事故」と言われ、在校生やOBが後ろめたさを感じることがないように事故の痕跡を学校の記録からできる限り消し去り、なかったことにしたかったのではないかと今は理解しています。
    亡くなった息子たちの尊厳よりも、校長として在校生やOBへの体面を保つことを優先したのでしょう。死んだ者は文句を言いませんので。

    息子を失い、こんな仕打ちを受け続けていますが、それでも希望がない訳ではありません。
    大田原高校はこの春に校長が代わりました。私たちや亡くなった息子たちに対する対応も良い方向に変わったように思えます。人間味のある対応をしてくださり、在籍した事実すら消し去るような過去の仕打ちもこの先変えてくださるように感じます。

    このまま良い方向に進み、息子が大田原高校に在籍したことを誇りに思えるような結果を期待したいと思います。

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