遺族は納得していません。 通知が守られず事故が発生したこと、それが問題視されていないこと、そこに対策がないまま再発防止策が作られること。

風化してしまった通知

冬山登山について出された通知

 

 1966(昭和41)年11月に栃木県教育長から各高校長や市町村教育長らに宛てて出された「冬山登山の事故防止について」という通知があります。内容は以下のようなもので、冬山登山の事故防止について、具体的で実践的な対応が記載されています。

50年も前の古い通知ではありますが、管理職の教諭らが持つ「教育関係職員必携」と題された冊子の中に収められ、今でも目にすることが可能で、事故当時も有効の通知でした。 「高校生の冬山登山原則禁止」との文科省からの通知がある中、栃木県下で冬山登山が行われていた根拠となっていたはずの通知です。この通知を厳守することによって冬山登山を例外的に実施できていたということだと推察されます。

今年の3月22日付で「新年度の登山は雪のない山域に限る」とした高校生の登山に関する新たな通知が出され、その内容をもってこの通知は廃止となっています。

1966年の通知

 

1966年の通知の内容

〇冬山登山の事故防止について
昭和41・11・22 健教第775号教育長通知

  • 11月~5月末日頃までを冬山登山の要注意期間として特に留意することが必要である。
  • 冬山は夏、秋、春の山で基礎技術を体得し、そのうえ経験豊かな指導者の統制ある指揮のもとでなければ行なってはならない。
  • 気象の変化は、ラジオ、トランジスター等により常に最新の注意を払い、判断にはさらに慎重と冷静さをもつようにすること。
  • 計画書は、その写しを家庭、学校、職場等におくとともに、早めに必ずもよりの警察、山岳連盟、地元遭難対策協議会等に提出することを義務とすること。
  • 冬山はいつでもなだれのおこる危険性があるので、降雪中とその翌日は行動を中止するようにすること。
  • いかなる登山であっても、経験、技術、体力を無視するような行動、競争意識による軽はずみな行動は厳につつしむこと。

無視された通知

 

 この通知は守られることもなく、事故が発生しました。「降雪中とその翌日は行動を中止」、この項目だけでも守ってもらえれば事故が発生することなどなかったことでしょう。

今年の3月、ある遺族が当事者である3教諭にこの通知の存在を知っていたか確認しました。驚くことに3教諭はこの通知の存在を知らなかったそうです。事故当時も知らなかったし、今年の3月の時点でも知らなかったそうです。
50年も前の通知ではありますが、事故当時も通知は有効であり、栃木県下の高校が冬山登山を実施していた根拠となっていたはずの通知です。それを登山専門部の専門委員長も、講師の教諭も誰も知らなかったのです。どうなっているのでしょうか。こんな状態の人らが責任者を務めていられることに失望を感じます。
また、今年の3月の時点でも知らなかったということは、教育委員会はなぜこの通知が守られることがなかったのかこの教諭らに確認すらしていないということです。自分たちで出した通知に価値がないことを自分たちで認めているようなものです。
 

 この通知は、先人が冬山登山の事故防止を願って作られたものだと思います。それが長い年月で風化し、その存在すら忘れ去られ無視されてしまうということを示す実例になっているかと思います。

これでは今回の事故を受けてどんなに立派な再発防止策ができたとしても5年、10年も経つと忘れ去られ、今回の事故の教訓は何も残らず、何事もなかったように緊張感は緩んでしまうことでしょう。それは私たちの息子の死が無駄となることですし、到底許容することはできません。

県教委の対応

 

 この通知を無視し、守られていなかったことに対し、先日発表された処分にどのように反映したのか回答はありません。なぜか検証委員会でもこの通知については触れられておらず、問題視されていません。

どの程度反映されたのかはわかりませんが、通知の存在すら知らず、その中にある規則を守らずに重大事故を起こし、8名もの命を死に追いやったとしても停職処分で済んでいます。通知を守らなかったことに対してはお咎めはないように思えます。この通知に限らず教育長や教育委員会からは生徒の安全に関する通知はいっぱい出されていますが、体裁を整えるために出しているだけであって、それらの通知は別に守らなくてもよいという県教委から県下の先生方に宛てたメッセージだとこの処分は思えます。現に熱中症予防の通知は数多く出されていますが、夏場の部活動でそれらの通知が守られていない実態を私は目にしています。
 

 通知を知らなくても守らなくても問題視せず、守らせるための仕組みもないままのこんな状況で、事故防止の通知だけ出して再発防止策と言われても信用することができません。

通知を守るための仕組みを

この先検証委員会からの提言を基にどんなに立派な再発防止策ができたとしても、5年10年経つと簡単に風化し、忘れ去られてしまうことはこの通知が忘れ去られた結果から明らかだと思います。再発防止策にどんなに思いを込めたとしてもです。1966年の通知も先人の事故防止の同様の思いが込められていたはずなのですから。
 

 再発防止策を作るだけではなく、それらを守らせる仕組みを併せて作り、次の世代に引き継いでいくことこそ大切だと思います。
それは啓発の場を設けるとかそんな箱物に頼ったものではないはずです。通知の存在を守らず無視し、重大事故を起こした場合には厳罰を課すことをメッセージとして発信するなど、守り引き継いでいくための仕組みが必要だと考えられます。

高校生の登山についての通知

3/22に栃木県の県立高校宛てに、高校生の登山について通知が出されました。
先日記事で述べた1,500m以下の標高の山への登山は審査を免除するという事故の教訓もない何の根拠もないふざけた基準はこの通知によってようやく廃止になりました。 内容はある程度の評価はできるものかと思いますが、明らかにおかしい基準を変えるだけで事故から一年掛かっています。彼らがこれからの対策に掛ける時間を考えると気が遠くなります。
また、上で述べた通り、この通知を守るための仕組みは不十分であると思います。この通知を守らなくても先生方に何のお咎めもないのですから。
 

 再発防止策だけではなく、それを守らせ引き継いでいく仕組みの構築を願います。

平成30年3月22日の通知


コメント

  1. AAA より:

    「降雪中とその翌日は行動を中止するようにすること」

    この通達が守られていれば、今回の事件は防ぐことができたの間違いないでしょう。
    守られていても、冬山(雪山)でない訓練だったから適応されなかったという言い訳が成り立つかもしれませんが・・・。
    ただ、50年以上前の内容が現在も有効かといえば甚だ疑問でもあります。
    確かに降雪後は雪崩の危険が高まるでしょうが、2日後なら安全かと言えば必ずしもそうでもないでしょう。
    また、雪山なので雪が降るのは当たり前ですが、降雪中に行動できなくなると、停滞、ビバークなどの判断を強制されることになるかもしれません。
    雪崩は、地形、雪質、天候等々を加味して、それでもリスクをとるかとらないかという判断をする必要があるので、一律に判断を強制するのような通達は登山の妨げになるのでは?と思いますし、再発防止にはつながらないと思います。

  2. YS11 より:

     この雪崩事故の1週間前に現場を左に見ながら、朝日岳目指して歩いていました。樹林帯の中でもワカンをはいてひざ下くらいに達する新雪でした。今までない積雪です。山岳会の新人を連れ遭難現場の斜面を指さして「あんなところは登りたくないね」と言った記憶があります。そのあと雪崩事故の発生を知り「なぜ」と言った気持ちでした。ラッセル訓練をするなら予定通り茶臼岳を目指し、樹林帯が切れるあたりで引き返せばよいのにと思いました。
     私は半世紀以上山と関わり、現在登山ガイドをしています。今でも年間100日くらいは山に入っています。そして思うことは、安全な山はない、安全登山という言葉自体意味がないとの思いです。
     山で事故を起こしたくなかったら山に入らないことです。山は雪が着いたら全くの別物です。ちなみに私は3月の尾瀬をテーマにしています。学校登山、部活としての登山は教育的な効果など肯定的にとらえる人もいますが、私は反対です。参加者の安全が確保できないと同時に何かあったときのリスクを子供たちは負担しきれない。当然教育者が登山のリーダーをするには荷が重すぎる。
     私に言わせれば、安全登山講習会なんて言葉は悪い冗談です。どんなところが危険なのか、その危険からどうすれば身を守ることができるのか教えるのかが一番重要なことなのです。危ないと思う感性のない人にリーダーを任せるのがそもそも間違っているのです。何が危険なのかは数多く危険な目に合わないと分からない。私は新人に「遭難はまずいが、遭難一歩手前のことは多く経験しなさい」と言っています。 学校登山や部活としての登山も見直すべきです。酷なことを言うと子供がもし学校の山岳会に入りたいと言ったら、社会人のしっかりした指導者のいる山岳会を紹介してあげることです。学校や教師に山の指導を任せるのは無理です。山は理論や理屈を超えたものがあり、最後は感性がものを言います。そんな感性を身につけるには、時間、本人の資質、良い指導者が必要です。でもこれが全部そろっても事故が起きないということはないのです。随分前ですが、確か三代目の長蔵小屋の親父が小屋の近くで雪の中死んでいます。いつも心に刻んでいます。

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