遺族は納得していません。 通知が守られず事故が発生したこと、それが問題視されていないこと、そこに対策がないまま再発防止策が作られること。

リーダーは何をしていたか


弁護団の団長の原田先生から、事故に関連する書籍の推薦文をいただきましたので、紹介いたします。

この本の中では著者が取材した5件の遭難事故について述べられており、「逗子開成高校の北アルプス遭難」注1「航空高専の中央アルプス遭難」注2「関西大倉高校の八ヶ岳二重遭難」注3といった3件の高校登山部(ひとつは高専であるが)の遭難事故について取材・解説されています。いずれの事故も、リーダーである顧問教員の無知と無謀さによって引き起こされた事故です。

1997年初版の20年以上前の本ではありますが、当時から状況は変わらず、何の反省も対策もないまま顧問教員の無知と無謀さによって那須雪崩事故のような事故が引き起こされています。

以下、原田先生の推薦文です。
NPO法人学校安全全国ネットワーク 「安全ネット通信/No.20」より転載。

那須雪崩遭難事故の資料探しの中で

那須雪崩遭難事故を受任し再発防止策の資料を探す中で、竹島恭子さんから、竹島さんの息子さんの徹さんの遭難事故をはじめ、5件の遭難事故を取材し、第1部から第5部にまとめ集大成した本があることを知らされた。朝日新聞の本多勝一さんが取材した『リーダーは何をしていたか』(1997年7月1日 朝日新聞社発行)である。

しかも単なる取材にとどまらない。本多氏が「山男」として、実際に、遭難現場に現場検証の登山もしたので、同氏の登山記録でもある。

本多氏自身が高裁の証言台に立ち(証言も引用記載)、「不可抗力」を理由に一審で生徒側が敗訴した「航空高専中央アルプス遭難事故」(*1977年3月30日生徒6名とOB一人が死亡事故。1984年6月26日一審判決=判例時報1131・93,1986年12月17日高裁判決=判例時報1222・37。)が中心に述べられている。本多氏の尽力で二審で逆転勝訴しただけに当然とも言えよう。

この事件の一審の裁判については、弁護士にも裁判官にも本多氏の批判の眼は厳しい。

雪山登山のリーダーには免許証が必要

本多氏は、雪山登山には免許証が必要と断言する。「免許証」の意味はどういうことか。

高裁で、被告側証人として出廷した長野県の高校山岳部顧問の先生の証言批判である。
この証人が、「様々な点で、被告のリーダー(先生)の措置が過っていたとは必ずしも言えない」と証言したことについての反論である。「確かに無免許運転や無資格医者でも、それによって100パーセント事故につながるとは言えない、酔っぱらい運転をしても、むしろ無事故の例の方が、事故例よりもはるかに多い。」だからこそ「本質はバスの運転手(顧問)は否かではなく、その運転手が無免許か否かであるのだ。」と。

その「免許証」の中身までは、書ききれないが、広く雪崩遭難事故の究明のためのバイブルと言える。
上記欄外の記述や次の通達紹介がその例である。

「長野県教委は雪山シーズンの始まる11月はじめになると毎年、高校生の雪山登山を禁じ、基礎訓練にとどめるように関係者に通知を出している。」

「高校生は体力・技術・経験等の面からみて、冬山登山における安全を確保することが困難と考えられるので」、「安全な場所での基礎訓練の範囲にとどめさせる。」

最後の第6部には竹島恭子さんはじめ3名の遺族の手記も掲載されている。
(弁護士 原田 敬三)

以下の注釈の解説文は、「リーダーは何をしていたか」P30,31の注釈解説より引用。
過去から那須雪崩事故と同じような事故が繰り返されています。

注1 逗子開成高校の北アルプス遭難
80年12月26日、厳寒期の北アルプス八方尾根から唐松岳を往復しようとした逗子開成高校山岳部六人が遭難、翌81年5月に全員遺体で発見された。一行のリーダーである山岳部顧問の先生は冬山経験がほとんどないにもかかわらず、雪上訓練と称して春山・冬山経験皆無の高校一、二年生を連れて入山。ワカン・ツェルト・磁石も持たずに出発し、第三ケルン付近で目撃されたのを最後に、北川ガラガラ沢へ迷いこみ遭難した。
注2 航空高専の中央アルプス遭難
77年3月30日、中央アルプス将棊頭山(しょうぎかしらやま)で、東京都立航空工業高等専門学校山岳部10人が、自ら表層雪崩を起こし、引率の顧問の先生二人と生徒一人を除く、生徒六人とOB一人が死亡した。30度の傾斜のカンパ帯で、凍結した氷雪の上に新雪がのった状態の斜面を、ラッセルで行列して進むなど、リーダーの小泉孝一氏には雪崩や雪山に関する知識が欠如していた。遺族が起こした訴訟は、一審敗訴、二審と最高裁で勝訴。
注3 関西大倉高校の八ヶ岳二重遭難
82年4月4日、関西大倉高校山岳部11人が、南八ヶ岳の赤岳から下山中、うち一人が滑落、これを確認しにノーザイルで斜面を降りたOB一人も滑落、二重遭難となった。リーダーの山岳部長の先生は、大学山岳部在籍経験や社会人山岳会に三年間所属などと自称していたが、事故後偽りであることが判明。登山知識もほとんどないまま、アイゼン、ピッケルを使ったこともない初心者を含む一行を連れて入山し、事故を招いた。
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