遺族は納得していません。 通知が守られず事故が発生したこと、それが問題視されていないこと、そこに対策がないまま再発防止策が作られること。

2017年3月27日に発生した那須雪崩事故の遺族・被害者の会のホームページです。

那須雪崩事故は死亡者8名、重軽傷者40名の学校管理下では最大級の事故でした。

那須雪崩事故について

登山専門部の海外登山 山岳部は先生のための部活動

事故検証

 栃木県高体連登山専門部は、顧問教諭らで登山隊を結成し、定期的に海外登山を実施していました。1977年から2000年まで、ほぼ5年おきに少なくとも5回海外登山を実施していることが確認できています。(栃木県高体連登山専門部の海外登山の年表)
 その目的は登山専門部の顧問の力量を上げるためとのことです。生徒は基本的に参加していません。(2000年の登山のみ一部参加)

 本当に顧問の力量を上げるための海外登山であったのか、むしろこのような海外登山があったからこそ那須雪崩事故は発生してしまったのではないか、そういった思いを止めることができません。

 顧問教諭らは海外登山実施のたびに、1か月~2か月程度教員の仕事を休み、海外登山に行っています。1年以上前より登山に行くためのトレーニングを始め、高地順応のために設備のある筑波大学へも何度も足を運んでいるとの記述もあります。
 また、山岳部顧問ではない方の参加もあります。那須雪崩事故の当事者である1班を引率していた菅又教諭は教員になる前の大学生の時点で参加していることも確認されました。

なんのための海外登山なのか

 1990年のムズターグ峰登頂、1995年のニンチンカンサ峰登頂については記録が本としてまとめられているので、入手し内容を確認いたしました。この海外登山の記録を確認してみると、教員らの趣味の幅を広げるために部活動がただ利用されているだけのように見えます。
 「感動を味わいたい」「夢をもってあきらめなければ必ず実現する」「少しずつ消えかけていた夢が、皆の応援のおかげで今ここに実現する」、登山の記録を見ると参加された顧問教諭からは自分の夢を実現すること、実現できたことの思いが述べられています。登山の目的はいったい何だったのでしょうか。

慢心が事故を引き起こしたのでは

 海外登山の本来の目的は顧問の力量を上げるためと言ってはいますが、顧問教諭らは海外登山に参加して根拠のない自信をつけただけで終わったのではないでしょうか。自分たち登山専門部は、ヒマラヤ登山もこなすようなすごい登山家の集まりなんだ、高校生の登山の引率なんて簡単にできるんだと。その慢心が事故を引き起こす要因になってしまったのではないでしょうか。

 事実、このような海外登山を積極的に実施した栃木県でこそ那須雪崩事故のような重大事故が発生し、海外登山を実施していない他県ではこのような重大事故は発生していません。また、事故を引き起こした講習会の1班の講師であった菅又教諭は、この海外登山に少なくとも2回参加しています。これらの海外登山が本当に顧問の力量を上げるためであったならば、このような事故を引き起こすことはなかったはずです。

 「なぜ雪崩が発生した危険な斜面に足を踏み入れることができたのか」という問いかけに菅又教諭は次のように答えました。
 「過去の海外登山などで、今回事故に遭った斜面より急角度の斜面や新雪の斜面でも雪崩に遭遇したことがなかった。だから雪崩の発生はないだろうと考えた。」と。
 この答えから考えると、むしろこの海外登山に参加していなければ適切な判断をすることができ、危険な斜面に足を踏み入れることはなかったのではないかとの思いが湧いてきます。そしてこれらの海外登山がなければ那須雪崩事故が発生することもなかったのかもしれません。

誰のための登山専門部、誰のための山岳部なのか

 海外登山に行くために2か月近くも仕事を休むことのできる職場なぞ、どこを見渡しても栃木県の高校山岳部顧問ぐらいしかあり得ません。ほかでこのような挑戦をしたいならば、プロの登山家になるか、クビを覚悟で会社を休んで個人で出かけるしかありません。

 そのような登山専門部の海外登山に、菅又教諭はどのようなツテがあったのか大学生のころから参加していました。そこに参加している顧問教諭らの姿を見て趣味の登山活動に没頭するために教員の職を選んだとみられても仕方のない状況だと思います。

 また、登山専門部は山岳関係の団体に人材を輩出するための場としても利用されています。
 現栃木県山岳連盟の会長の石澤好文氏は、もともと高校教員で、登山専門部の専門委員長を務められた方です。また、1990年の海外登山で登山隊長を務められた渡辺雄二氏も当時教員でしたが、2010.4~2015.3の間、国立登山研修所の所長を務められました。

 このように登山専門部は顧問教諭と山岳関係者のための組織となっている、そう思わざるを得ません。顧問の趣味の幅を広げるための組織、山岳関連団体に人材を供給するための組織となっており、生徒のため、部活動のための組織という風にはとても見えません。
 登山専門部や山岳部を、生徒をそっちのけで自分たち山岳部顧問が登山を楽しむための場として活用していたのではないでしょうか。

 そしてなお、那須雪崩事故を受けて栃木県教育委員会が策定した再発防止策では、顧問教諭に数々の研修を受けさせ、相変わらず教員が主導権を持って生徒を引率することとなっています。それは伝統的に登山専門部が顧問教諭らを教育し、山岳の関係団体に人材を供給する場になっていたからではないでしょうか。この再発防止策は、その仕組みを今後も変えるつもりがないという栃木県教育委員会と登山専門部の意思の表れだと考えられます。

山岳関係団体について

 登山専門部の成り立ちを追っていくと、山岳連盟も登山研修所も結局教育関係者で構成されていることがわかり、そのまま信用することはできません。登山計画審査会の構成メンバーも関係者で占められており、今後の高校生の登山を議論する場としてはふさわしくないとの思いは一層強くなりました。
 もっと中立で、部活動の在り方から議論できる場で再発防止策の議論が必要であると考えます。

 そして登山専門部を、そういった関係団体に人材を供給する場とすることは今後あきらめるべきです。そもそも本業が教師であるはずの山岳部の顧問教諭が、県の山岳連盟の会長になったり、国立登山研修所の所長に就任したりするこの状況は異常です。

 あなた方の本業は一体なんであるのか、問い質したい思いです。山岳を本業としたいのであれば、登山家にでもなればよろしいかと思います。
 もっと本業の教育活動に専念することができるよう、部活動での登山の在り方を根本から考え直すべきだと考えます。

栃木県高体連登山専門部の海外登山の年表

日時 出来事 内容 役職等
昭和52年(1977) 栃木高体連海外登山

栃木県高体連登山部創立20周年記念事業

カナディアンロッキー遠征
Mt.ランドル、Mt.テンプル、Mt.アサバスカ、Mt.イーデスキャンベル等への登頂
Mt.ロブソン付近の氷河探索
◆主な参加者
隊員16名
昭和59年(1984) 栃木高体連海外登山

栃木県高体連登山部創立25周年記念事業

インド・ヒマラヤCB31峰(6,096m)遠征 ◆主な参加者
隊員16名
隊長:野村平八(足利工高)
副隊長:佐藤清衛(鹿沼農高)
登山リーダー:渡辺雄二注1(鹿沼農高)
隊員:石澤好文注2(真岡高校) 滝田道明注3(那須農高校)
平成2年(1990) 栃木高体連海外登山

栃木県高体連登山部創立30周年記念事業

中国崑崙山脈の未踏峰の一つ、ムズターグ峰6,638mの初登頂

書籍『慕士山初登頂』-風と光と岩と氷、そしてロマン-(栃木県高体連登山部 1991年12月刊)

◆主な参加者
隊員24名
隊長:渡邊雄二注1(日光高校)
副隊長:石澤好文注2(真岡高校)
隊員:後藤尚(那須工高校)注4滝田道明注3(真岡農高校)菅又久雄注5(大学4年生 真岡高校OB)
平成7年(1995) 栃木高体連隊ヒマラヤ登山

栃木県高体連登山部創立35周年記念事業

書籍『輝ける白き峰』ニンチンカンサ西稜初登頂の記録(栃木県高体連登山部 1996年3月刊)

登山記録

参加者のホームページでの記録

◆主な参加者
隊員25名
隊長:石澤好文注2(茂木高校)
隊員:後藤尚(那須工高校)注4(那須工高校) 滝田道明注3(真岡北陵高校)稲葉昌弘注6(大田原女子高校)菅又久雄注5(鹿沼商高校)
より
平成12年(2000)

栃木県高体連登山部中国コングール学術登山隊2000年
中国・パキスタン高校生国際交流学術隊2000年

栃木県高体連登山部創立40周年記念事業

コングールの遠征では高校生も同行


注1 渡辺雄二氏 元国立登山研修所 所長(2010.3~2015.3)
         元栃木県高体連登山専門部海外登山研究会代表
注2 石澤好文氏 現栃木県山岳・スポーツクライミング連盟会長(2018.4~ )(2018.11現在)
         元栃木県高体連登山専門部専門委員長(1994.4~2000.3)
注3 滝田道明氏 元栃木県高体連登山専門部専門委員長(2004.4~2005.3)
注4 後藤尚氏 元栃木県高体連登山専門部専門委員長(2000.4~2004.3)
注5 菅又久雄氏 真岡高校山岳部顧問 那須雪崩事故を引き起こした1班講師
注6 稲葉昌弘氏 現栃木県高体連登山専門部専門委員長(2017.11~ )(2018.11現在)


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