遺族は納得していません。 通知が守られず事故が発生したこと、それが問題視されていないこと、そこに対策がないまま再発防止策が作られること。
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3教諭の見苦しくみっともない主張

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2022年6月22日、民事裁判の第2回口頭弁論が宇都宮地方裁判所で開かれました。

3教諭側からは、雪崩発生の危険性は予測できなかったとし、予見可能性を否定する準備書面が提出されました。県側は生徒への安全配慮義務違反を認めるなど賠償責任を負うことを認める一方、教員については過失相殺の認定を訴えてきました。 

見苦しい

今回の口頭弁論の場で初めて事故を引き起こした当事者である3教諭の事故に対する認識があきらかになりました。事故から5年もの歳月が経っていますが、初めてのことです。

気の進まない裁判ではありましたが、このことだけでも裁判をした甲斐があったと感じています。この5年間の話し合いや調停では彼らの考えを聞くことができませんでしたので。

彼らの主張は、事故は予見できないものであるというもので、予見可能性を否定するものでした。そして講習会の責任者は自分ではないとまで言ってのけました。

このことを聞いて私がまず思ったことは、「見苦しい」「みっともない」というものです。
今時小学生でもこんな見苦しい言い訳をしません。怒りを抑えることができません。

県教委の事故検証委員会でも「雪崩の危険性は予見可能であった」と結論付けられています。検証委員会では責任追及はしない前提であったにもかかわらずです。そしてご存知の通り、「事故発生は予見可能」と検察によって判断され、3教諭は起訴されています。過去の裁判例などを見ても雪崩の危険性は予見可能とする判例が多く、天候や地形などの情報から雪崩の発生の危険性は十分予見可能であることは現代では常識となっています。

それにもかかわらず、今更予見可能性から争うなんて、見苦しく、みっともないと感じます。そんな主張が許されたのは雪崩の知識が十分に周知されていなかった昭和の中盤までのことです。

登山や雪崩、学校の安全について教育・啓蒙されてきた専門家の方々の功績や苦労をなかったものにする主張であること、仮にも教育者という職にある方がこのようにとんでもないことを主張すること、こんなことを主張するようなくだらない人間に息子の命を奪われたという事実など、どの方面から切り取ってもこの主張には怒りしか湧いてきません。

加えて事故の遭った講習会の責任者は自分ではないという主張...
反論するのもバカらしくなるあまりに幼稚すぎる主張で、大の大人が本気でこんなことを言うことが信じられません。知性はお持ちなのでしょうか?責任者という日本語の意味がわからないのでしょうか?こんな知性で今まで教員としてちゃんと働くことができたのでしょうか?裁判の場ではこのような明らかに馬鹿げた主張であったとしても言えることは何でも主張しておかなければいけない規則でもあるのでしょうか?

本当にみっともなく見苦しい対応です。

この5年間

今回の口頭弁論によって事故から5年間、彼らがどのような認識と気持ちでいたのかはっきりしました。

「雪崩発生の危険性は予見できず、那須雪崩事故は仕方のない事故だった。自分たちの責任ではないし、講習会の責任者は自分たちではないので関係ない。」とまで言っています。

私たちが期待したのは、3教諭が自分たちが引き起こしたことに対して責任を感じ、心から謝罪し、息子たちの死を悼んでくれていることでした。しかし、全くそのようなことはありませんでした。

弔問に来ない理由も今回の口頭弁論からわかりました。自分たちの責任ではないので、弔問に廻る必要もないと思っていたのでしょう。

この5年間、責任を感じる訳でも息子たちの死を悼むわけでもなく、自分たちの責任から目を背けて日常生活に戻ることだけをただ考え続けていたとしか思えません。この事実は私たち遺族を失望のどん底に突き落とし、より一層彼らに対する怒りを駆り立てるものです。

「恥を知れ!」と言いたい。命を奪われた息子たちの前でも同じことを主張することができるのでしょうか?恥ずかしくはないのでしょうか?

あまりに幼稚で、見苦しく、みっともない主張です。

3教諭の処遇

そして県と県教委にも言いたいことがあります。あなた方は「嘘つき」だ、と。

県教委に弔問にも来ない3教諭のことを問うと、「3教諭は事故の責任を感じ、息子さんたちのことを悼んでいます。ただ、弔問に来られるような精神状態ではないので弔問に来ないことをご容赦ください。」と繰り返し申されていました。

しかし、今回3教諭から提出された主張書面を見ると責任を感じているような文言はなく、自分たちに責任はないと主張しています。このような主張の上で弔問に来ていないのですから3教諭は息子たちを悼む気持ちなど持ち合わせてはいないでしょう。

県教委が繰り返してきた説明とは全く状況が異なっていました。県教委は私たちにウソをつき続け、ウソをついてまでも3教諭を守っていたことになります。きっとその場その場で適当なことを言ってごまかしてきたのでしょう。これが福田知事や阿久澤教育長が繰り返し言われる遺族に対する「誠実な対応」なのでしょうか?

そしてこれからもこのような嘘をついてでも3教諭の身分を守り続けるのでしょうか?

事故の責任を一定程度認めている県の主張とは異なり、3教諭は責任を認めず、自分たちの責任から目を背け続けています。県の言っていることにすら耳を貸さず、見苦しい主張によっていたずらに混乱を招いています。彼らはこのような幼稚な主張をしてでも教員という立場にみっともなくしがみつき、今も我々県民の税金から給料をもらい続けています。教員の立場を守り、給料をもらい続けるために裁判を無駄に引き延ばそうとしているように見えます。

県や県教委が中途半端に彼らを守るため、3教諭はその立場にしがみつくのではないでしょうか。無駄に教員を守り続けるこのような対応は「安全配慮を怠って生徒・教員の命を奪っても赦され県に守られる」という間違った認識を他の教員に与え、学校安全の緊張感を損なうものです。そして無駄に混乱を与えてこの事故の決着を遅らせる3教諭の対応は、再発防止を停滞させ、生徒・教員の生命や安全を損なうことにもつながります。

今後も県や県教委の言うことにも耳を貸さない3教諭を守り続け、教職に留まることを許容し、私たち県民の税金から給与を払い続けるのでしょうか?私の支払った税金の内のわずかでも彼らの給与となると思うと許せない気持ちになります。こんな彼らを守ることが県民の生命や安全を守ることよりも優先することなのでしょうか?

福田知事、阿久澤教育長には、この件についての見解を表明し、県と異なる主張を重ねる彼らの処遇について再考することをお願いいたします。

コメント

  1. エイジ より:

    こんな人間がいるのか、と驚きます。しかも教員。どんな顔で、どんな話を生徒にしているのでしょう?
    講習会で生徒たちを引率する責任者だったのに、自分たちには責任は無いと言う。そんな“顧問”を信頼して講習会に参加した生徒たちはあまりにも可哀想です。
    “そんな顧問”を庇う県、教育委員会。

    辛い裁判になりますね。
    皆様、どうぞご自愛なさいますように。

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