遺族は納得していません。 通知が守られず事故が発生したこと、それが問題視されていないこと、そこに対策がないまま再発防止策が作られること。

24歳

今日は6月27日、息子の誕生日です。24歳になります。

どんな大人になっていたでしょうか。

この日までにこの事故の決着をつけたいと思っていましたが、一定の結論は得られたものの、まだ決着には至っていません。息子は「まだ続いているのか」と呆れているかもしれません。この戦いはもう少し続きそうです。

息子の思い

とは言え、宇都宮地方裁判所での第一審は決着を見ました。実刑判決が下されたので、息子に一つ報告することはできました。しかし、その後、三教諭が東京高裁に控訴したため、まだ完全な決着とは言えません。息子も呆れているでしょうが、呆れながらも息子はこの結果についてどう思うだろうか考えています。

この裁判結果についてだけではなく、事故後からずっと、息子がこの事故に対してどう感じるのだろうかと考え続けていました。「あんなに雪が降ったんだから講習なんて中止にすればよかったんだよ」と息子は言ったでしょうし、当日の彼らの行動に対して怒っていると思います。しかし、三教諭に対する直接的な怒りの言葉は想像できませんでした。

今回の裁判を通じて、刑事裁判の被告となった三教諭に対してどのような感情を抱いたのかを考えると、息子の中でもこの事故に対する考えは変わっただろうなと想像します。

嘘をつき続ける三教諭の態度や証言には腹が立っただろうなと思います。「あの言い方はないよな」「嘘つくなよ」と息子は事故当日の行動だけでなく、三教諭に対して初めて直接的な怒りを覚えたのではないかと想像します。

息子は三教諭に対して直接的に有罪にしろとか、刑務所に入れとか、そんなことは考えていないと思います。ただ、真実に基づいて裁判が行われ、その結果として3教諭がどのように裁かれるかを見届けることを望んでいると思います。真実のもとで裁かれたのであれば、どのような結論であれ、息子も受け入れてくれると思いますし、三教諭に対しても受け入れることを望むことでしょう。

しかし、裁判では三教諭は真実ではなく、彼らが作り上げた妄想と嘘によって無罪を訴え続けてきました。私も彼らが無罪を主張することは予測していましたが、完全に嘘で塗り固められた理屈で無罪を主張するとは想像していませんでした。そして真実と事実に基づいて彼らが何を弁解するのかを聞けることを期待していましたし、それが妥当な主張であるかどうかを裁判所が判断し、結論が出ることを望んでいました。息子も同じ思いだったと思います。

裁判では3教諭は事実に基づかない責任逃れと時間稼ぎのための主張を繰り返しただけでした。期待と望みを踏みにじるような態度に、息子もただ怒りだけを感じたのではないかと想像します。

嘘で言いくるめることはできない

三教諭は裁判でずっと嘘をつき続けていました。「事故当日の積雪は15cmだけだった」とか、「生徒が制止を振り切って危険な斜面に勝手に行った」とか。

責任逃れのためには何を言っても許されると思っていたのでしょう。これらの言い逃れは裁判を通じてすべて嘘と認定されました。

それでも私はその嘘だらけの証言の中でも、いくつかは真実だと信じていました。

例えば、渡辺被告が引率した二班について、渡辺被告は事故斜面の下に達したときにトラバースして下山するよう指示したと証言していました。私はこの二班が下山する意思を持っていたということには疑いを持っていませんでした。

しかし、二班で講習を受けていた生徒の証言によると、彼らは渡辺被告から下山の指示は聞いておらず、トラバースした後に一班に続いて斜面を登るとの指示を聞いたということでした。このため、二班に対する下山の指示も嘘であると裁判で認定されました。

私が疑いを持っていなかったこの証言についても嘘だったことが裁判で明らかになりました。では、彼らの証言のどこに真実があるのか?真実なんてあるのでしょうかと言いたくなります。

息子は三教諭の事故当日の行動について怒りを持っていると思いますが、それでも三教諭を教員として信頼していたと思います。

しかし、その信頼する教員が、裁判でこの事故を自分たちの責任ではなく生徒のせいにし、嘘をついてまで責任逃れをする姿を見て、人としておかしい、もうこんな人たちを教員として見ることはできないと思ったのではないかと想像しています。もし息子が言葉を発することができたなら、「あの言い方はないよな」「嘘つくなよ」と言うと思います。

今までの長かった教員生活の中で自分たちに都合の悪いことがあったとしても、三教諭は教員という立場を利用し、高校生を嘘で言いくるめたり隠ぺいして誤魔化すことができたのでしょう。しかし24歳で大人となった息子には、その言い逃れは通用しません。

裁判では講習会に参加した当時高校生だった元生徒の方が何人も証言してくださいました。彼らも息子と同じような気持ちで、嘘で裁判を進められたくない、真実に基づいて審議してほしいという思いで証言台に立ったのだと思います。

もう大人となった彼らを嘘で言いくるめることも隠ぺいすることもできません。
教員生活で身についた三教諭の嘘や誤魔化しは通用しない、一審の裁判の結果はそう言っているのだと感じました。

来年こそは

息子への思いを綴ってもどうしても事故や裁判のことに行きついてしまいます。
早くこの事故が決着し、純粋に息子の冥福を祈ることのできるようになることを祈ります。まだもやもやした気持ちは残りますが、24歳の誕生日を祝いたいと思います。

24回目の誕生日おめでとう。
生まれてきてくれてありがとう。
あなたは今もこの先もずっと私たちの息子です。

 


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