遺族は納得していません。 通知が守られず事故が発生したこと、それが問題視されていないこと、そこに対策がないまま再発防止策が作られること。

刑事裁判に対する思い

2022年2月10日、那須雪崩事故の講習会で責任者・講師を務めていた3人の教員が、宇都宮地検によって業務上過失致死傷罪で在宅起訴されました。その後、同年10月に第1回公判が行われ、2023年5月初旬現在この裁判は継続中です。現在までに5回の公判が行われ、5月9日に6回目の公判が予定されています。

一方で、この裁判に対しては、教員を起訴し、刑事裁判で裁くことに疑問を持つ人もいます。

しかし、この事故では8人もの人命が奪われ、甚大な被害が発生しました。このような状況下では誰かが責任を取り、事故の教訓を後世に残す手立てを講じることが必要です。

起訴までの5年間、栃木県教育委員会と教員たちは何も手立てを講じることなく、この事故が世間から忘れ去られることをただ待ち続けていました。このような状況で起訴に至ることは、必然的であったと言えます。

刑事裁判で教員を裁くことに疑問を持つ場合、起訴までの5年間、何も手立てを講じなかった栃木県教育委員会と当事者である3教諭に対しても批判の目を向ける事が必要です。この事故を教訓に、同様の事故が二度と起きないようにするためには、責任ある者たちが真摯に向き合い、適切な対応を講じることが求められます。

刑事裁判への思い

大きな事故が発生し、被害者が出た場合には、その責任を明確にし、適切な対応を取ることが必要です。

起訴された教員たちにも生活があり、非難が続くことは過酷だと思いますが、このような事故を防ぐためには、責任を明確にし、責任を取ることが必要です。そして同様の事故が二度と起こらないように、教育現場の安全管理のあり方について真剣に考え、改善していくことが求められます。

しかし、事情を理解することはできませんが、教員や教育委員会が自らの責任を認め、責任をとることが難しい場合もあるようです。この事故に関しても栃木県教育委員会が関係者に課した処分は軽いもので、責任をとったとは言いがたいものでした。

このような場合には、司法による判断が必要となります。
最初は、刑事裁判に頼らずに教育現場の自浄作用によって教訓を残すことを期待していましたが実現できませんでした。現在この刑事裁判以外に、教訓を残すための手段が残されていない状況にあることを残念に思っています。

今後に禍根を残さないために、裁判で徹底的に審理し、明確な教訓を残していくことが必要です。
教育現場における安全管理の改善は、事故を二度と起こさないために不可欠であり、この事故を機に改善が進むことを期待します。

事故の教訓とは

那須雪崩事故は、学校管理下の事故としては最大級の被害のあった凄惨な事故で、8名もの命が奪われました。

もし、この事故の責任追及が曖昧なままで終わってしまったら、将来的に一人や二人の生徒や教員が亡くなっても、学校側は責任を取らずに何をしても許されるという印象が生まれかねません。

「那須雪崩事故で安全管理を怠って8名もの命を奪った教員たちは、最終的にどのような処分を受けたのでしょうか?」
「停職処分を受けたようですが、その後元の職場に復帰して普通に教員生活を送っているようです。」
「それだけで済んだのですか。8人もの命が失われたのに、それだけの処分で済ませることができるものなのですね。安全確認を怠って事故を起こしてしまってもなんとかなるものですね。学校の安全なんて適当で問題ないようです。」

このように、那須雪崩事故が安全意識の薄い教員の免罪符として用いられ、学校安全に対する緊張感が事故前より低下してしまうことを許すことはできません。

この那須雪崩事故から明確な教訓を得る必要があります。教訓とは、責任の所在を明確にし、責任ある者が責任を取ることです。

教員たちは、生徒や保護者、地域社会から委ねられた責任を果たすために、その職務を遂行する上で安全管理を徹底することが求められます。教員が生徒の安全を最優先に考えることは、教育者としての基本的な使命であり、義務でもあります。
責任が明確にされず、責任ある者が責任を取らない場合、同様の事故が再発する恐れがあります。
教員は、責任を重く受け止め、再発防止策を真摯に考え、学校安全の向上に取り組む必要があります。

そのためには、教員を刑事裁判で裁くことが必要になる場合があります。教員が学校で安全管理を怠り、生徒や教職員を危険にさらした場合、その責任を問うことは必要不可欠です。
もちろん、教員は人間であり、完全に事故を回避することは不可能ですが、最大限の安全対策を講じることが求められます。

教育現場は、安全な環境を維持することが求められます。そのためには、教員がその責任を全うすることが不可欠です。そして、教員が責任を取ることによって、より安全な学校環境が実現されることを期待し、裁判での正当な判決を求めることが必要です。

3教諭が息子らの命を奪ったことに対して罰則が科されることで、学校の安全管理に緊張感が生まれ、今後同じような事故が起こらないようになることを期待いたします。同時に、教員たちは事故の原因を徹底的に分析し、再発防止策を講じることで、教育現場の安全性を高めることが求められます。

軽すぎた処分

事故から1年後の2018年3月、事故に関係する教員・職員に対する懲戒処分が発表されました。
私たちは、事故の責任を問う立場から、当時の3教諭に対して「免職」もしくは「停職6か月」以上の処分を求めていました。

しかし、栃木県教育委員会から発表されたのは「停職5か月」という軽すぎる処分でした。「停職6か月」が停職処分での最大期間であり、慣例的に自主退職を迫る退職勧告に相当する処分であることを踏まえると、そこから1か月期間を減らされたこの処分は、教育委員会からの3教諭への恩情によるものと受け止められました。

処分を発表した当時の宇田教育長に対して私はこう言いました。
「恩情による停職5か月では、この処分でケジメをつけることはできません。何の解決にもなりません。この処分により、私たち遺族はずっと苦しめられるでしょう。」
「ケジメを残せなかった3教諭も、きっと苦しめられることになるでしょう。恩情を示すのであれば、彼らを免職とした後、再就職先を斡旋するなど、事後のサポートで示すべきでした。処分でしっかりとした形でケジメをつけた後なら、いくら恩情を示されても文句はありませんでした。」

当時のこの思いは今でも変わることはありません。

さらに、この軽い処分に至った理由と根拠について問いました。
宇田教育長の回答は、「この事故に対する刑事裁判での判断が出ていない中、3教諭を免職とする厳しい処分を出すことはできなかった」というものでした。
私はこの回答に対して、教育長として自己判断ができない点に驚きを覚え、教育の責任者としての適性が欠如しているように感じました。

私は宇田教育長に対して、「何らかの事情で3教諭に対して十分な懲戒処分ができなかったのであれば、あなた自身が責任を取って辞職するべきだ」と訴えましたが、彼の耳には届きませんでした。

また、事故後に自主的に退職することもできたにもかかわらず、3教諭がそのような選択をしなかったことは残念なことです。もし、この時に適切な処分もしくは自主退職が行われていたら、事故の教訓を残すことができ、この事故はここで終結することができたかもしれません。その結果、後に続いた民事裁判や刑事裁判も避けることができたかもしれません。

その後3教諭が起訴され、事故から6年が経過しても決着がつかない現状を見ると、この軽すぎた処分が「誰にとっても良い結果ではなかった」ということは明らかです。

教員を刑事裁判で裁く意義

今回の事故は、3名の教諭が教員としての責任を果たしていなかったことが原因となりました。教育現場においては、生徒たちの安全を確保するために教員には重要な役割があります。そのため、教員が責任を果たさなければなりません。

教育長が、刑事裁判による判断がないので厳しい処分を出すことはできなかったと言い訳したように、教育委員会や教育行政による処分は十分なものではありませんでした。当事者である教諭たち自身が、自らの責任を認めて適切な措置を取ることが求められます。しかし、彼らが責任を取らない場合、再発防止のためにも、刑事裁判による処罰が必要となります。

教員を刑事裁判で裁くことに疑問を持つ人もいるかもしれませんが、教員による生徒の安全への責任が問われ、責任を果たしていなかった場合には、厳格な処分が必要です。教員が自らの責任を果たすことができなかったことが原因で、生徒・教員が被害にあったのですから、彼らには厳しい措置が必要です。

教育現場での安全性を確保するためには、責任ある者が適切な処分を受けることが不可欠です。今回の事故を教訓に、教員たちは生徒・教員の安全を確保するために責任を果たすことが求められます。また、教育行政も、教員たちの責任を追及し、生徒・教員の安全を守るために必要な措置を講じていくことが重要です。


コメント

  1. 岡安 英治 より:

    おっしゃること、その通りと思います。
    あたりまえな事がなされない為に遺族はずっと苦しみ続けています。
    どんな判決が出るのか、裁判長は遺族の苦しみを理解したのか、被告たちはどんな反応をするのか?
    胸がザワザワします。
    遺族、亡くなった8人が納得のいく判決が出ることを祈ります。

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