欠席の意思表明
朝、目を覚ましベッドの中で息子の名前を呼び「おはよう」と、声を掛け、遺影に手を合わせ「今日も頑張って生きるよ」と、自分に言い聞かせることから私の一日が始まります。
私は、まだ現場に行く勇気がありません。行ってみたいと思う気持ちはありますが、足が向かないのです。
そんな中、3 月27 日の追悼式についての詳細を新聞で初めて知りました。
その後、県教育委員会主催の「那須雪崩追悼式」(平成30年3月27日挙行)にお招きをいただきました。しばしば、私たちは新聞報道などから県の取り組みや意向を知ることがあります。なぜ、私たちに事前に説明してくださらないのでしょうか。当たり前のことを当たり前にしてくださらない県の対応に、ますます不信感が募るばかりです。
よって、今回の追悼式典を欠席いたします。
コメント
追悼式典への不参加表明、強く支持します。
登山研修所での事故とまったく同じ経緯となっており、友人をなくした者として何も変わっていないことに対する忸怩たる思い、そしてご遺族の皆さまの心痛、察してあまりあります。
問題の核心は、現場の先生の判断であり、なぜ、そのような行動をとったのかを明らかにしないとなりません。しかし、今回も、大日岳の時も、検証委員会の報告書ではまったく触れられませんでした。
検証委員会がそこに触れないのは、個人の責任を追及しないためというより、自分たちに火の粉がかからないようにするためでしょう。今回、主体となった先生は登山研修所の研修を受けていますが、いったいそこで何を習ってきたのか?を明らかにしないと教訓は見えません。しかし、検証委員に3名も登山研修所のメンバーが入っていれば、そこに触れるわけもありません。
大日岳では、平場などない山頂付近で、大きな平らな場所(つまり雪庇上)で休憩したのが原因ですが、文部省は雪氷研究者を使い、雪庇の崩落は予見不可能と、問題の核心から目を背けた報告書を作りました。そして今回は、危機感がないという単純化した物言いで簡単に終わらせています。これは、なぜ忘れ物をしたのか、という問いに対し、注意力が足りていないからだ、といっているのと同じで、まったく真剣にこの問題に対して考えているとはいえません。
より罪深いのは、行政の役人よりも、そうした核心をずらした報告書を作成することに異を唱えない検証委員会に関わった研究者であったり、山岳関係者です。大日岳のときも同じでした。
問題の一番大事な点が何も明らかになっていないにも関わらず、検証委員会のメンバーが各地で高体連に対する講習を次々開催していることに非常に違和感があります。大事なことを目をそらすために、未来のことばかりを強調しているようにしかみえません。それが、失われた命に対する誠実な態度なのでしょうか。
高体連が秋までに修正版の報告書を作ると聞いています。願わくば、ご遺族の声をもってして、これまでとはまったく異なった人選による、まっとうな報告書ができることを強く希望します。
最後に、役人に対する憤りを先生に対する処罰感情へ転嫁させないことを、遺族の皆さまに希望いたします。先生も山が好きで、ずっとやってきて、部員はかわいい後輩であったわけで、その意味で先生もまたそのとりかえしのつかないことに対する自責の念にあるに違いありません。おそらくここは大日岳のときとは異なります。事故後、教員の道へ進んだものとしての感想です。
大日岳雪庇崩落事故に身近な知人(学生)が参加していた者です。
山岳事故で報道などを見聞きしても的外れな内容を垂れ流していることが多いんですが、
本質を見極めるには、本気で真摯に登山に向き合っていなければわからないと思います。
大日の講師陣と那須の教師陣を比較して、大日の講師陣を貶めるなんてとんでもないことです。
意見をしたいのなら、まず自立した登山を実践された上で、『東京出版局 岳人備忘録―登山界47人の「山」』でも読んでからにしてください。
僕が大学卒業後、山岳会に所属しなかったのは、AAAさんのような方がいたからでした。「雪庇の上は休憩する場所ではありませんし、それが疑われる場所も休憩適地ではありません。これまで大丈夫だったという体験だけで、慣習的に休憩してしまいました。完全なミスです。ごめんなさい」と言えなかった。返ってくるのは、「こんなにすごい先生なんだぞ。おまえはどれほど山を登っているのだ?」という権威主義の言葉ばかり。すごい人でも初歩的なミスをする、というのが他の業界での当たり前の事実なんですが、いったい、山の世界はどれだけガラパゴスなのかと。僕に言わせれば、AAAさんのような人がいるから、引率講師は率直に話をできなくなる。後だしジャンケン&上から目線で叩くから。引率の先頭班にいた先生は高校時代から長く山をやっていらしたのですから、その山に対する情熱と経験に対して、もっと敬意を払うべきだと思いますね。
27日に遺族および被害者の会ができると報道を拝見しました。
2つ提案があります。
1.その会は、雪崩事故の被害者に広く門戸を開いてほしい
2.シンポジウムを開催してほしい
皆様には同じ境遇の方が周囲にいらっしゃいます。
しかし、孤立して苦しんでいる方もいます。
そうした方々にも同じ苦しみを理解してくれる人が必要です。
また、報道は行政や研究者の動きしか報道しません。
日本には他も積極的な活動をしている団体がいくつもあります。
それぞれが、事故をどのように捉え、
何を問題としているか、そして、どのような教育をしているのか
それを知る機会があったらと思います。
公的機関よりも民間のほうが優秀、というのは
この国ではよくある話ですし。
訂正:東京出版局 ✕
東京新聞出版局 〇
大日で友人をなくした さん
大日の件は本件とは関係ないのでここで議論するつもりはありませんが、全く的外れな自分よがりの妄想を私に当てはめるのはやめていただきたい。
ただ1つだけ。
「その山に対する情熱と経験に対して、もっと敬意を払うべきだと思いますね」
これは大日の講師陣に言うべき言葉でしょう。
那須の教師陣は報道を見聞きする限りはド素人の集まりです。
止めませんか?
ここは、そういう場ではないですよね? 場外乱闘みたいな事は、控えた方がいいのでは?
そうは思いません。
間違った理屈で那須雪崩事故の教師陣を擁護するというのは看過できません。