遺族は納得していません。 通知が守られず事故が発生したこと、それが問題視されていないこと、そこに対策がないまま再発防止策が作られること。

事故のケジメをしっかりとつけていただきたい

教育委員会や顧問の先生らも息子らの死を悼んでくれているはずです。
その気持ちを無視すべきではない、他の遺族と先日そんな話をいたしました。

死を悼む気持ちに偽りはないはず

顧問教員らが安全確認を怠ったことによって那須雪崩事故という大事故は引き起こされてしまいました。その責任から逃れたくて事故と向き合えていないのかもしれませんが、それでも息子たちとは日頃から部活動、登山活動を通じて接しており、顧問教員らの心に息子らの死を悼む気持ちが無いわけがありません。また、教育委員会に目を向けても教育長は元教員であり、教育委員会の事務局の方々も元教員の方が多く、息子らと同年代の生徒と接した経験が長いはずです。きっと自分たちのことのように息子らの死を悼んでくれていることと思います。その点に疑いはありません。そこに疑いを抱いてしまうと憎しみの気持ちに押しつぶされ、私は生きていくこともままならなくなってしまいます。

顧問教員らや教育委員会、学校現場の先生方は、息子らの死を悼む気持ちを持ったまま、突然加害者としての立場に追いやられてしまったのでしょう。きっと死を悼む余裕もなく、気持ちの整理もつかないままそのような立場に追いやられ、戸惑いも大きかったことかと思います。

私たち遺族も教育委員会や顧問教員らを責めるだけでなく、同じ方向を向いて息子の死を悼み、もう二度とこのような凄惨な事故を起こさないようどうすべきか同じテーブルで話し合いたいという気持ちを持ち続けています。

だからこそ、ケジメを

しかし、今のままでは彼らと同じ方向を向いて黙とうする気にはなれません。

那須雪崩事故という凄惨な事故を引き起こしてしまったことについて彼らの中の誰も責任を取っていません。責任をとらず、なんのケジメもない中で、死を悼む気持ちだけを示されてもその気持ちを受け取ることはできません。

死を悼む気持ちがあり、事故を引き起こしたことを反省しているのであれば、その気持ちを明確な形で示し、ケジメとして頂きたいと願います。

しかし、事故を引き起こしたのは「故意ではない」との理由で事故を引き起こした教員に対する懲戒処分は「停職」止まりでした。そして現在では停職処分も明け、今まで通りの教員生活に戻られているとのことです。

安全配慮義務を怠って8名もの命が失われたにも関わらず、事故を引き起こした栃木県教育委員会や学校現場は事故前と変わらず通常どおりの運営に戻っています。これではこの処分の結果をもってケジメとすることはできません。

命を奪われた息子たちはもちろん、残された遺族もこの先事故前と同じ生活に戻ることは決してありません。なぜ落ち度のない息子や遺族に責めを負わせ、自分たちは元の生活に戻ることができるのでしょうか。

死んで詫びて欲しいわけでも、罪人として何の職にも付かずに路頭に迷って欲しいわけでもありません。ただ、責任をとって教員という職は辞していただき、今後教員が学校安全に対して緊張感をもってもらうための教訓となっていただきたいのです。

それだけが望みで、それが息子らの8名の命が失われたことに対する教訓となると思います。

安全確認を怠り息子を死に追いやったことは今後も決して許すことはできないでしょう。
しかし、しっかりとケジメを示してもらえれば同じ方向を向いて黙とうし、並んで死を悼むことができると思います。

懲戒処分はメッセージ

懲戒処分というものは、非違行為(非行・違法行為)を行った個人に対する処罰であると同時に組織を統制するために行うものであり、組織のトップからその組織の所属員に対するメッセージでもあるはずです。

那須雪崩事故に対する顧問教員らへの処分は、「今後、顧問教員が安全配慮義務を怠って生徒・教員が命を落とすような同様の事故が起きたとしても元の教員生活に戻れるようにサポートする。だからこれまで通り安心して部活動の指導・引率に専念して欲しい」という栃木県教育委員会から栃木県下の教員に向けたメッセージのように感じます。今後の事故防止を考えたメッセージではなく、学校運営の都合を忖度したメッセージであるように思えて仕方ありません。

遺族の心には、息子の命を奪われたことに対する処罰感情が強くあることは否定できませんが、その感情を差し引いてもあまりに軽い処分、あまりにひどいメッセージではないでしょうか。8名もの生徒と教員の命を奪うような重大な注意義務違反を犯したとしても元の教員生活に復帰できるという悪しき前例ができたのですから。

このような軽い処分で学校現場での安全意識が高まる訳がありませんし、事故防止となるとは思えません。現場の教員の安全意識はより緩んでしまったのではないかと感じます。

あまりにも甘い処分

あまりにも甘い処分です。身内である顧問教員に対して処分を甘くしたと非難されても仕方がないでしょう。きっと「故意に引き起こした事故ではない」「部活動に一生懸命になった結果の事故であった」と考えた末の処分だったのだろうと推測はできます。そうであったとしても組織の統制のため、教員に学校安全に対して緊張感をもってもらうために厳しい処分を科すべきでしたし、それが組織の長である教育長の務めであったはずです。それができないのであれば自ら教育長の座を辞することが筋であるはずです。

甘い処分がなされ、トップである教育長も責任を取ることなく、結果として誰も責任をとってはいません。

教育長に伝えた考え

処分の発表後、教育長がうちに弔問に来られました。
その際に以下の通り、自分の考えを伝えました。

「現場の事故を引き起こした顧問教員は『免職』とし、 組織の統制を図り、事故の教訓を後世に残すことが教育長の務めだったはずです。 顧問教員らに同情があったとしても組織のトップとして甘い処分を科すべきではなかったはずです。 」
「もし、顧問教員らに同情し、温情を掛けるのであれば、 『免職』とした後に再就職先を斡旋するなどの形で全力でサポートすればよかったのです。しっかりと 『免職』として事故の教訓を残していただけたならば、その後のことまでとやかく言うつもりはありませんでした。顧問教員にも家族がいるはずなので、彼らに路頭に迷ってもらいたいわけではありません。 」
「組織のトップとして毅然と厳しい処分を与えることができないのであれば、教育長がその責任をとって辞任すべきであったはずです。」
 
私はこの懲戒処分に期待していました。8名もの命が失われたのですから、しっかりと厳しい懲戒処分がなされ、今後の教訓となるケジメが示されるものと思っていました。しかし、結果はなんの教訓にもケジメにもなるものではありませんでした。

息子を死に追いやった顧問教員を今後も許すことはできませんし、事故を引き起こした顧問教諭らの弔問も未だに受け入れていません。しかし、懲戒処分によって免職となったならば一定のケジメがあったとして弔問を受け入れようと思っていました。その気持ちも無駄になり、未だに弔問を受け入れることができません。
 
遺族の気持ちにも顧問教員にもケジメがなく、教員や教育委員会は遺族と同じ方向を向くこともできず、このまま事故は忘れ去られ何の教訓も残さず風化してしまうのでしょう。
 
事故から5年10年経ったあとにこの事故を振り返った時、「事故を起こした教員は元の職場に復帰した」という結果だけが残り、学校現場の安全に対する緊張感はなにも変わらなかったという結論だけが導き出されることでしょう。

教育長がトップとしての責任を果たさず、身内に甘い処分を下した結果、事故はなかったものとなってしまいそうです。あまりに酷く、悔しい結果です。

任期が終わる前に

栃木県の現教育長である宇田氏は、今年の3月末に任期切れとなり、新しい教育長が就任されるとのことです。

昨年の3月に教育長が遺族・被害者と向き合った際、遺族・被害者からは宇田教育長には辞任していただくようお願いいたしました。事故の責任を明確にし、今後教育長の座に就く方に学校安全に対して緊張感を持っていただきたいとの思いからです。
しかし、宇田教育長はそのお願いに耳を貸すこともなく、再発防止策を着実に実行するためという名目のもと任期を全うされようとしています。

結局、なにが変わったのでしょうか?
再発防止策として、制度設計もない、場当たり的な対策だけが策定され、数年も経てば何も残らないように思えます。

今後の学校安全に対する教訓を残すため、安全配慮義務を怠った教員に対して厳しい処分を与えるよう宇田教育長には教員の処分規定の見直しをお願いしています。宇田教育長からは「検討している」との回答を得ています。せめてそのくらいは任期切れ前に実施していただくことを願います。


コメント

  1. エイジ より:

     学校、教育という言葉が虚しく見えます。
    事故で亡くなった生徒たちは顧問の教員たちを登山経験者と信じてこの『安全講習会』に参加したのですよね。家族も学校の行事だから、学校、教員を信じて息子を送り出したのですよね。その息子がもういない。時間が止まってしまいました。
     ところが、『安全講習会』の責任者だった教員らは5ヶ月間仕事を休ませられた(停職)後は職場に復帰しました。どんな『教育』が出来るのでしょうか。当時の校長は定年退職して、御咎め無し。教育長は給料1割減を1年ですか?それでも辞めずに、任期を全うすれば、経歴に傷をつけずに済む。
     生徒を守れなかった教員(大人)たちがなぜ学校に居続けられるのか。全く理不尽と思います。

  2. かつお より:

    こんばんは。はじめまして。
    私は日光に住んでいる者です。
    離れていますが、うちのある高台からは、鷄頂山越しに遥か彼方に那須山を遠望出来ます。
    どうしても自分の見たことを伝えたい。
    止むに止まれずメールします。
    あの日、日光の家から遠く見上げた鷄頂山は、激しい雪雲に飲み込まれていました。めったに見ない、物凄い厚い雪雲が山裾迄迫る勢いでした。
    私は思いました。
    今日は山に入ると最悪だなぁ。と。
    恐らく山の上はホワイトアウトし、スキーリフトも止まる、そういう雲に覆われた天気でした。
    何故覚えているか、事件がそのあと起こったので忘れられないのです。
    私は若い頃から、長いこと山に登りスキーをしてきて、ある程度雲を見れば山の様子は想像できるのです。
    とにかく、私はあの日の雪雲、低気圧はヤバいと本能で感じていたのです。
    そんな天気だったのです。
    何故、そんな事も分からずに雪山の怖さをを知らない若者を行かせたのか、当時の責任者、管理者は徹底的に反省すべきです。絶対に許してはいけないと思います。

  3. 太郎 より:

    現代社会に一定数バカが居るという事です。

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