遺族は納得していません。 通知が守られず事故が発生したこと、それが問題視されていないこと、そこに対策がないまま再発防止策が作られること。

話し合う気がない

現在、事故の和解に向けて栃木県と調停を進めていますが、難航しています。
なんとか話を進めようと遺族側から提案もしましたが県は応じることもなく、県側からの代替案の提案もありませんでした。

県は話し合う気がない

私たち遺族は県や県教委、高体連、事故を起こした当事者である教員らと話し合ってお互いに納得できる結論を得ることを目的として調停という手段を選びました。調停を申し立てたのは2020年3月26日のことです。

お互いの那須雪崩事故の捉え方や和解の条件の考え方について相違があることは当初よりわかっていました。

しかし、調停とは双方がその溝を埋める努力をし、お互い話し合いながら納得のいく和解案を作り上げていく作業をする場だと認識していましたので何とか出来るのではないかとの期待もありました。そういった作業の過程で双方の立場や考えへの理解が深まり、和解に至ることができるのではないかと思ったからです。それが私たちが訴訟という手段を選ばず、調停という場を選んだ理由です。

しかし、おおよそ1年と8か月の間調停を続けてきましたが、県や教員らからは溝を埋める努力は感じられず、歩み寄る姿勢もありませんでした。彼らは当初の立ち位置から一歩たりとも動くことがありませんでした。そういった対応から私たちが思い至った結論は、最初から県や教員らは私たち遺族とは何一つ話し合うつもりはなかったのだろうというものです。徒労感しかありません。
言っていることが気に入らなければどうぞ遺族側から訴訟でも何でも起こしてくださいと言わんばかりの態度をずっと続けてこられました。

詳細を述べることはできませんが、こちらから県の考え方を回答するように求めた件について回答を拒否されたことがありました。また、調停の一週間前までに文書で回答するようにと期限を設けられた件について調停当日になってようやく回答を出してくるようなこともありました。
調停委員や裁判所からもちゃんと回答を出してもらうよう促してもらいましたが改善はありません。

こういった対応は調停や裁判のような場で揺さぶりをかける戦術のようなものなのかもしれません。
息子たちの命を奪った加害者側である県が私たち遺族に対してどのような思いでこのような戦術を仕掛けてくるのでしょうか?理解に苦しみます。私たち遺族の心を折ってあきらめさせるための行動なのでしょうか?

話し合いに応じないばかりか、このような姑息な戦術に私たちを巻き込むことは止めてもらいたかったと強く思います。

県や県教委、高体連、事故を起こした当事者である教員らは口を開いて遺族と話し合いをしても自分たちになんの得もないと思っているのかもしれません。なので事故の当事者である3人の教員は調停に出席することすら必要ないと判断したのでしょう。

私たち遺族も損得だけで考えるならば調停などではなく訴訟を選択すべきだったのかもしれません。
しかし私たちは損得ではなく、私的な時間と費用を費やしてまで話し合いをするために調停を選択しました。調停の手続をし、調停のための費用と弁護士費用を捻出し、調停のある日には仕事を休んで対応しています。私たち遺族がそういった苦労をしてまでどのような思いで調停に挑んでいるのか考えていただきたいと思います。

私たちとは異なり県の担当者は業務としてこの件に対応しているはずです。
せめて私たちが費やした私的な時間と費用に見合うだけの誠実な対応をお願いしたいものです。
遺族として、そして一県民としてちゃんと仕事をしてくださるよう願います。

事故に対する認識の違い

事故後4年以上の月日が経ち、県教委、高体連、学校の顔ぶれもかなり変化しました。事故当初にいた方々は頑なな態度で何を言っても通じないような話にもならないような方ばかりでした。しかし現在では顔ぶれが変わったからこそなのか私たちの話にも耳を傾けて会話ができるような間柄になったような気になっていました。
そういったこともあり、調停の場で議論が進むことを期待していました。

しかし、調停の場での取り付く島もないような彼らの対応は、事故当初の頑なな態度の再現であり、私たちの期待を裏切るものでした。事故当初から対応が変わったと思ったのは勘違いで、根本の考えは当初より何も変わっていなかったのかもしれません。

彼らの対応を見ると、まるで事故はただの自然災害で県教委や高体連、教員には何も責任はないように思っているように見えます。しかし、県はこの事故についての賠償責任があることは認めており、調停の場でもそれは確認することができました。どうにも一貫性がないように思えます。

県は一体この事故をどのように認識してこのような対応を取っているのでしょうか?

きっと、那須雪崩事故はどうしようもなかった自然災害なので自分たちに責任はないが、部活動の場での事故であり、亡くなった生徒や遺族が可哀想だから賠償金だけは払ってもいいか、どうせ税金からだし..といった認識を持っているように思えて仕方がありません。それを「賠償責任」と言っているのかもしれません。そういう考えを持っているとしたら今までの心ない対応の理由として納得できます。

教育長は2021年3月の追悼式の場で「大切な命を守ることができず、心より深くお詫び申し上げる」と述べられました。高体連会長も力強く事故防止の決意を宣言されていました。

口先だけでは何とでも言えます。

本当にそのようにお詫びと事故防止の決意をお持ちなのであれば、調停の場で戦術にばかり腐心するのではなく、ちゃんと誠実に話し合いをしていただくことを期待いたします。

那須雪崩事故は自然災害ではなく、人災なのですから。

事故への向き合い方

もともと、私たち遺族には県と積極的に争う気持ちはありませんでした。
事故を起こした教員や学校、県教委がしっかりと事故を反省し、人としての礼儀を忘れず、息子達の死を悼んでくれれば、調停という場を選択しなくても話し合うことができたのだと今でも思います。

しかし、彼らは息子たちの死を悼むのではなく、事故を忘れ、早く日常に戻ることのみを考えているように見えました。当事者である教員らは人としての礼儀もわきまえず、弔問にすら来なくなりました。

このままでは事故がなかったこととされかねないと思い、彼らと話し合うために調停という手段を選択いたしました。それでも県には話し合うつもりはなく、当事者の教員らは調停に出席することすら拒み、全く話し合うことはできていません。

今からでも息子達の死を悼んで、事故に向き合って頂きたいと願います。
それは調停だとか反省だとかではなく、人としての最低限の礼儀だと思います。

最低限の礼儀もわきまえない人が「教師」を名乗ってよい訳がない、私はそう思っています。


コメント

  1. 休日たまに山に登る翁 より:

    なんなんだろうなぁ
    県の人たち

    自分の子供が朝元気に出て行って
    そのまま帰って来ずに
    焼かれて骨になって返ってきた

    想像したら
    普通
    こんな対応できないと思うんだけどな

    まだ若くて元気いっぱいだった自分の子供が
    骨となって返ってくる

    親として
    こんな悲しい事は
    これ以上ないと思います。

    自分の子供がそうなったら
    考えないのかしら

    切ない
    悲しい
    酷いとしか言いようがない

    悲しみの中
    遺族がこんなに再発防止に向けて
    前に進もうとしてるのに

    酷いとしか言いようがないです。

    お金が欲しけりゃ裁判やるよ
    でもそうじゃない

    同じ悲しみを他の親にして欲しくない
    だから頑張っているんじゃない

    普通の親ならみんなこう思うよ

    お金なんていらない、だから息子を返して
    なんだってする、息子が返ってくるなら自分が死んだって構わない、だからあの日の元気で家を出て行った息子を返して

    でも
    それが無理なお願いって分かってるから
    自分の気持ちを押し殺して
    話合いの席に座ってるんじゃない

    栃木県ですよね?
    もっと遺族の立場にたって
    自分だったらどう思うか
    考えて対応できないものでしょうか?

    自分の子供が
    骨となって返ってきたら

    考えて対応していますか?
    自分だったら、そんな対応されて許せますか?

    学校の活動中にお子さんの命奪って
    そんな対応なんですか?

    あなた達が守るべきは
    県の財政なんですか?

    県民一人一人の
    命、財産、未来が最優先ではないですか?

  2. 松下征文 より:

    自分も登山の指導者として学校側の対応には腹立たしく思う。何度も繰り返される遭難、教育者は過去の事例を知らなさすぎる。同じミスを犯しているように思われます。学生や、生徒たちにはミスはないのに‼️そいう自分もいつ判断を誤るかも知れません。
    親にとっては悲しく辛い事でしょう。

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