遺族は納得していません。 通知が守られず事故が発生したこと、それが問題視されていないこと、そこに対策がないまま再発防止策が作られること。

教育界は無法地帯なのか?

那須雪崩事故は栃木県高体連が主催した「春山安全登山講習会」で8人もの命が奪われました。安全登山に必要な知識・技術の習得や理解、事故防止等が本来の目的であったが、現場で行ったラッセル訓練は国有地であり、入るには許可が必要な場所であった。しかし無許可で侵入し訓練を行っていたのである。いや国有地である事すら指導に当たった教員は誰も把握していなかったのであろうか?「こういう場所に足を踏み入れたら、雪崩に巻き込まれて死ぬんだよ」という危険行為を実際にやってのけることとなったのである。「安全講習会」どころか「大惨事講習会」となり、私達の大事な息子達の尊い命を奪う事となりました。そして参加した生徒や教員、その家族の人生、生活を大きく変えることとなりました。

事故発生2017年3月27日から既に2年が経過し、もうすぐ3年になります。未だに納得のいく回答は得られず、今回の事故で犠牲となり亡くなった彼らの本来あったはずの未来をあきらめることが出来ません。「私達は取り返しのつかない大変な事故を起こしてしまった」と顔色を変えて取り乱し、悔し涙を流し、冷静が保てない程慌てる教育関係者もおらず、淡々とした対応する姿しか見る事はありませんでした。とくに慌てる姿が見たい訳ではなく、心から「大変な事故を起こしてしまった」という事を自覚し、「安全登山講習会」という安全を指導する沢山の指導者が居た活動の中で8人もの死者が出たというありえない状況をしっかり受け止めてもらいたいだけなのである。

夏男さんによる写真ACからの写真

事故後に思ったこと、感じたこと

事故から時間が流れ、色んな方と関わる中で自分なりに思ったこと、感じた事がいくつかありました。思いのままに勘違いしている事も、偏った考え方をしている事もあるとは思いますが、記録に残したい、自分の思いを吐き出す、訴えるという意味も兼ねて書いております。勝手では御座いますがご了承下さい。

学校事故はなくならない

今回の事故では大事な8人の命が亡くなりました。しかし今までどれだけ学校で生徒や教師が亡くなってきたのだろう。

日本の部活で死亡事故について私がよく話を聞いたのが「柔道」であった。日本では2004年以降の13年間で23件もの死亡事故が起きているということでした。しかしフランスでは柔道の死亡事故は0件である。柔道の死亡事故を起こす事無く柔道を行えている国があるのだから日本も同じ事が出来るはずである。

日本とフランスとでは指導方針にいくつか違いがあり、フランスは同じ体格と帯同士での練習や柔道の指導を行うには国家資格が必要である。日本は柔道経験もない教員が顧問をしているという事だけでも大きな違いである。しかも日本は死亡事故がこれだけ起きている柔道(武道)を2012年から中学校の学校教育の必修科目となっている。必修科目にするのであれば、フランスのように柔道の死亡事故0件にしてから行うではないだろうか。

文部科学省によると「武道に積極的に取り組むことを通して、武道の伝統的な考え方を理解し、相手を尊重して練習や試合が出来るようにすることを重視」との事だそうです。今回の雪崩事故後の話し合いの場でも今後の山岳部の活動についても話し合いをする機会はありました。話の中で「子供達に色んな経験をさせてあげたい」という言葉を教育関係者の方は使われておりましたが、その前になぜこの事故が起きたのか?、事故の報告書は何時になったら出来るのか?、事故防止策は進んでいるのか? 事故当時の生き残った生徒は、先生はその後どうしているのか?大田原高校やその他の高校の山岳部は今どんな活動をしているのか?聞きたい事、説明して欲しいこと等が沢山あります。私達には報告をしてもらう権利、聞く権利等があると思います。しかしそれらを後回しにして、「子供達に色んな経験を」「山岳部の活動をさせてあげたい」というキレイ事を並べるのが先に来てしまって順番が違うのではと思います。

先に進みたいのであれば、事故の報告書、こちらからお願いしている質問書等の回答もきちんとしてからにして頂きたい。感じた事は子供の命や部活動での事故発生より、学校体裁や現在の部活動をとりあえず先に進める事を重視している結果となっている。学校では部活以外にも修学旅行、林間合宿、課外授業、マラソン大会など様々な行事があります。部活以外でも体育の授業で亡くなっている生徒も沢山いる事、過労死している教師、いじめで亡くなった生徒等かなりの人数が亡くなっています。問題なのは現場の状況もあるが、事故後の対策がきちんと出来ていないという事を強く感じました。

今回の那須雪崩事故でも税金から多くのお金が使われており、検証委員会の開催だけで数千万ものお金を費やしています。時間とお金をかけて再発防止策の作成、検証員会、追悼式など県教育員会は事故後の対応を行っています。けれど現在の対応では今後も同じ過ちを繰り返さない、部活や学校で死亡事故が起きなくなることには繋がっていないのが現実なのです。

実際に特に部活の柔道での死亡事故は繰り返されています。事故はフランスのように無くなっていません。同じ事を今現在も繰り返し、子供達は死んでいるのです。勉強で例えると「問題集やりました。」しかし字を埋めただけで、答えがあっているのか、式はかけているのかは確認しないので、理解は出来ておらずテストでは全然点数が取れない、結果が出せないという事と同じなのです。そういう対応を長年に渡って教育関係者、特に教育委員会等の上の組織や高体連等、今回も安全対策課等の組織は出来たものの、どれだけの効果が上がっているのだろうか?「学校は何か変わったね。本気で動き出した」と第3者や子供達から認められなければ、実際に結果を出せなければ何もしていないのと同じであり、同じ過ちの繰り返しなのである。

出来もしない立派な事だけを軽々しく口に、言葉に出さないで頂きたい。犠牲になるのは現場で指導している教員や子供達である。私達の息子達も現にその犠牲になったのである。人間はどんな優秀な人でも必ず間違いやミスをします。けれどその後にいかに同じ過ちを繰り返さないようにするにはどうしたらいいか、本気で考え対策を立て、結果を出すことができなければ何の意味もありません。子供が何人も死んでいるのにまた同じ事を繰り返し事故が起きています。何回再発予防策や安全対策課の設置、検証委員会を開けば、いくら税金を使えば同じ事故が起きなくなるのでしょうか?

事故後の対応について

事故後に私達は色んな方とお会いして話をする機会がありました。その中で私達に対する対応、接し方について感じた事、思った事がいくつかあります。

警察の方々の対応について

まず最初に警察の方々について。

今回の事故当初から事故後も変わらず、丁寧で何より突然最愛の我が子を亡くした私達に常に細心の気遣いをして頂きました。

警察とは普段は何もなければ係わる事もないので、かなり緊張しましたが検察庁、被害者支援室、警備課、地域課、刑事捜査課等色んな方々にお話を聞いて頂いたり、精神的にも助けて頂きました。今回出会った警察の方々はどなたも真摯な対応をして下さいました。良い警察の方々と巡り逢う事が出来た事を感謝したいと思います。事故当初から葬儀の時のマスコミの取材等から私達を守って頂いたり、私達から話を聞く時もまず、子供の事、私達の事、どんな生い立ちやどんな人間であるのかを知ろうとしてくれます。あくまで差し障りのない範囲でですが、子供や私達の事を少しでもどういう人間か知ったうえで話を聞いてくれます。私達が話しやすいように丁寧に言葉を選んだり、感情的になって話してもいいですよと優しい言葉をかけて下さいました。その後も私の支離滅裂で感情的で滅茶苦茶な話や愚痴を聞いて頂きました。警察は時間と沢山の職員の方の力をこの事故に関わった全ての関係者から一人一人丁寧に調査、聞き取りをして下さいました。その分捜査に膨大な時間と手間もかなりかかったことが素人の私にも想像が出来て、だから捜査に時間がかかっても「遅い」「いつになったら全部終わるの」等の不満は私個人の意見ですが、ほとんどありませんでした。警察の方には本当にただ、ただ頭が下がり本当に感謝しております。

教育関係者の対応について

次に教育関係者について。

正直、マスコミや公の場での「誠意のある対応をします」「このような事故が起きた事を真摯に受け止め、対応していきます」等のキレイな定番表向きの言葉だけはポンポン出てくるが、言っている事と実際の対応はあまりにも違い過ぎて、本当に不信感や怒りの感情が抑えきれないといった状態に私達はなりました。とにかく落ち着いて、出来るだけ悪く取らないように自分に言い聞かせ平常心で話が出来るようにと努力もしてみました。それでも心からの誠意のある対応をしていただいていると感じる事はありませんでした。逆に私達と歩み寄る気はあるのか、そして何より今回の事故で命を落とした息子達の事を死なせてしまった、とんでもない事故が起きてしまったと認識してくれているのかと問いたくなります。今回は生徒だけではなく、部活の顧問をしていた若い教員も、あなた達の大切な仲間も命を落としているという事を重く受け止めてもらいたい。「生徒も教師も誰も死なせるもんか、何で教育現場で人が死ぬんだ、おかしいだろ!」位の言葉が、仮に嘘でもいいので聞きたかった。かつ今回の事故が起きた「安全登山講習会」では多数の教員も参加していたので、悔やみや怒りの声をいくらかは聞くことがありました。

しかし教員1名、生徒7名が亡くなり、多数の生徒が自分の目の前で雪に埋まったのである。もっと多数の意見や大きな声を上げる教員がいてもいいのではないだろうか。事故後は大きな声を上げず、沈黙を通し、日々静かに過ごし、時が経って遺族が黙って静かになって諦めるのを待っていればいいのであろうか。

事故当時の大田原高校の校長は事故直後すぐ無事に定年を迎え、税金から退職金をもらい、別の私立高校の教員として今も過ごしておられる。後の事は後任の校長にひき継いだと話された。しかしただ引き継ぎをしただけである。

事故の責任を取るべき、自分で出来る事やる事があるのではないだろうか。現教員が学校での授業、教務等をやりながら事故の報告書、対応もやっていて、学校の仕事の方が忙しくて事故の方の処理等はまだ出来ていないと言われる事もあるが、それなら学校での教壇に立っていない他の教員がやるとか何か方法はあるはずである。

事故発生時の校長でしかも退職したのならば残った時間を事故防止対策や報告書、遺族への説明や対応、今後どのように部活を行っていくのか等やる事は山のようにあるのだからそちらに回って仕事をするのが本当ではないだろうか。自宅にお線香をあげに来てくれる事はあるが、あくまで「他の者に引き継いだので」の一言で終わられても「はい、そうですか。今までお疲れさまでした」とは言えない。納得など出来るはずがないであろう。

教育関係者への処罰について

教育関係者への処罰について。

「私達の息子は死んだのである」この意味はお分かりでしょうか?

「死んでしまったのだからしょうがないでしょう。」「死んだんだから色々言われても、もうどうしようもないし」「はい、もう終わり、いつまで死んだ人間の事を言ってるの」などと露骨に言葉として言われた事はないが、それと同じニュアンスを私達は感じなければならない対応、仕打ちを受けてきた。

悔しくて悔しくて、怒りと憎しみでどうしようも無い時がある。私達遺族のうちの何名かは先生方に「辞職して頂きたい」とお願いした事があります。きちんと事故の責任を形のあるもので取って頂きたい等、思いはそれぞれである。

教育長に言われたのは「辞職しなければならない規定はないので」ということであった。現に教育長も月給給与の10分の1を6か月自主返納で責任を取ったことになりました。文部科学省も「判断は各学校の判断に任せる」なのである。これが何よりも教育関係者が責任を取らなくて済む、逃げることができる原因なのではと思います。

全国に学校はあり、住んでいる各地域によっても学校方針や対応が多少なり違ってくる。今回も雪崩事故での教諭や教育委員会の職員への処分があったが、処分が軽くても誰も「処分が軽すぎる、もう一度処分内容を見直せ」と指示する人間はいなかった。指示する人間がいないどころか教育長が「この内容で十分だ」と言っているので誰も文句は言えないのである。処分が軽い等の不満を言っているのは遺族や教育関係者以外なので、ほおっておけばいいのである。痛くもかゆくもないのである。これで処分は終わりにする事が出来たのである。

話は変わるが、教員のわいせつ行為については即懲戒免職や辞職にもっていくことが出来るのに死亡事故を起こしても懲戒免職や辞職には繋がらない。「理由は故意にやったわけではない」という事である。

今までも学校での死亡事故は何件もあった。修学旅行で海で溺死した、部活の合宿で山に星を見に行って崖から滑落死した、林間学校でカヌーに乗って溺死した、掃除中に窓から転落死した、柔道で技をかけられ、頭を強く打って死亡等いろんなケースがある。死亡事故以外にも生徒がカッターナイフで刺して怪我をしたなど、その後の対応を見ていると報告書等は提出しても具体的な対策、そして実際にその対策案が再発防止効果を発揮しているかというと柔道などは繰り返しの死亡事故が起きてしまっている。

死ぬのが分かっているのに止める事が出来ていない。そして大体の事故時の関係した職員はどこかに移動して何も変わらない生活を継続しているのである「教員を厳しく処分すると授業をする先生が足りなくなるや、教員をやる人間が少なくなってしまう」等の問題が発生する等が理由であるとのこと。つまり子供が命を落とすことよりも、教員がいなくなってしまう方が大変なので教員が定年退職迄安全に勤める事が出来るようにする方が大事なのである。教員が仕事を続ける為に子供の多少の犠牲はしょうがないという事でしょうか。教育界のこの体制は教育制度が始まってから変わることなくずっと続いているのである。

学校とは教員とは特別な人、特別な世界?

国が、大人が、教育が間違った道を進めば子供達は素直に巻き込まれていく。戦争が終わった時、学校現場では教科書の黒塗りが行われました。その時に「間違った事を教えてしまった」「自分に従わない人間には圧倒的な力でねじ伏せる教育をしてしまった」と言えた先生は何人いたでしょうか。国は、教育全体は間違えを伝え、謝罪出来たのでしょうか?いまだに日本の公教育の様々な場面でみられる軍隊の訓練のような集団行動や姿勢、号令、挨拶などの習慣などは戦後から教育現場は変わっていません。ではいつ変わるのでしょうか?

昔は飲酒運転をしても「ちょっと飲んで運転しても大丈夫」「うるさく言われる事もない」「警察に捕まることなんてない」でした。しかし今は「お酒を飲んで運転するなんてありえない。」「飲酒運転は犯罪である。」とはっきり言える世の中にちゃんと変わっている。そして飲食店や飲料メーカーもそれに対応してノンアルコールビールの提供や運転手にはお酒の提供はしないように対応が目に見えて出来ている。

教育界はどうだろう。週休2日やゆとり教育、入試制度の改革などはしている。不登校の子は保健室登校なども出来るようになった。学校現場だけでなく教育委員会や高体連等の組織もある。

しかし子供や教員の命に関わる事、これからの未来に将来に大きく影響するような早急に対応が必要な事に対する改革についてはどうだろう。例えば入試の時期である。希望する学校に行くためには受験しなくては入れない学校がある。今や高校進学は義務教育ではないが高校を卒業していないと仕事に就くことが出来ないのが現状である。

そういう状況にあるにも関わらず、インフルエンザや風邪など感染症が流行し、気象状況も雪などで道路事情、交通事情のトラブルが起きるのが分かっている時期にずっと入試を行っているのは何故でしょう?なぜ何十年もこんな状況が続いているのでしょう?なぜTVのアナウンサーは「道路状況が悪い可能性があります。皆さん体調にも気をつけて頑張りましょう」と笑顔で当たり前のようにアナウンスするのでしょう?「こんな時期に入試を実施するなんて国は教育界はどうなっているのでしょう」と報道すれば非国民ですか?処罰を受けなくてはいけませんか?子供達が、親が、先生が世間が気を付けなくてはいけないのですか?国が文科省が入試時期を変更するという選択肢はないのでしょうか?真夏の甲子園で地球温暖化が深刻な中、40℃を超えるグラウンドで死と隣り合わせで、声を上げる事も出来ないまま、逃げる事も出来ないまま試合に臨まなければ、周りもそれを見守らなければならないのでしょうか?何が最優先か、教員の働き方改革もふまえて本気で考えば大きな教育制度の改革が必要な事は分かるはずでないでしょうか?

変わってくれなければ、同じ事をまた繰り返しているのでは、私達の息子達のように、また防げるはずの事故でまた死人が出る事は明白である。部活の強豪校で厳しい練習中に死亡事故が起きて、その次の年にまた死亡事故が起きている。それなのに部活の顧問は顧問を外されるどころか良い試合結果さえ出せば名誉顧問と呼ばれ称賛されるような異常なこの学校制度をどうにかして下さい。

冷静にしっかり目を開けて、正面から目をそらす事無く教育全体の現状を見て、把握し、必要な改革を行い、良い結果をしっかり出して欲しい。学校教育、義務教育はとても大事で必要不可欠なことです。時代の流れによって、国鉄や郵政民営化もありました。学校も教員試験に受かった人間だけで教育全体の色々な仕事をこなすのではなく、部活担当、テスト問題作成担当、事故やいじめ等の対処専門部門、外部機関のベネッセや塾講師等と協力して教育全体をフォローしたり等の改革が必要ではないでしょうか?今回の事故は先生が授業や学校での仕事と部活の顧問、指導や活動との両立が出来なかった事によるものであると思います。

教育界は無法地帯

今回の事故の話し合い等の中で「昔からそう決まっているから」「毎年この場所で講習会をやっていたから」等の返答をされる事があったが、正直「ふざけるな!」の一言である。8人もの死亡者を出しておいてどこの世界にそんな説明で「誠意ある対応をした」「事故の説明をしました」ということになるのであろうか。

しかし現実に本当にそういう対応をされるのである。栃木県の教育委員会等ではそれが通り、許されるのである。栃木県だけではなく他の都道府県でも同じような対応が行われているのではないか?教育界の制度や規則は教員にとってとても都合のいいように出来ており、内容も抽象的なものが多い。規則等はあるのだが、私達から見ればまるで無法地帯のようである。

故意でなければ、悪気がなければ何でもOKなのか。

子供達の事を考え、真面目に一生懸命、教員という仕事を毎日やっている先生方にお願いしたい。教育現場で理不尽な対応をされた人や、亡くなった教員、子供達のためにもおかしいと思った事、改革が必要だと思った事は皆で大きな声を上げて欲しい。

文科省も教員、子供、親、世間の人達の声に耳を傾け、教育改革という大変な仕事をしっかりやって、実際に変えて欲しい。

「各学校に判断を任せる」ではとんでもない事態になっているのである。対応しきれていないのである。同じ過ちを何度も繰り返さないで欲しい。でなければ死んだ私達の息子達も私達子供を亡くした親達も報われることはない。

夏男さんによる写真ACからの写真 

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