事故から5年が経ちました。
これだけの年月が経っても悲しみと喪失感は事故当初から変わることがありません。
未だに毎朝目が覚めるたびに感じるのは「息子はいない、また息子のいない一日が始まる」との思いです。悲しみの底に居続けていて、その状態に慣れてしまいました。
それでも昨年までと比べて心は少し穏やかになった気がしています。
今年の2月の3教諭の起訴という結果が大きかったのだと思います。
抱き続けた恐怖心と怒り
那須雪崩事故を今後の事故防止の教訓としてしっかりと刻み、後世に正しく伝えることを望みつづけてきました。
しかし、教訓を残すどころか「安全確認を怠って8名もの命を奪っても元の職場に復帰できる」として那須雪崩事故が免罪符となって教育現場から安全に対する緊張感をうばってしまうのではないか、そんな恐怖心と怒りを抱き続けた5年間でした。
3教諭の起訴は5年間抱き続けたそういった思いを和らげ、事故の正しい教訓が後世にしっかりと刻まれるであろう希望を抱かせてくれる結果でした。まだ起訴に至っただけで結論が出た訳ではありませんので、しっかりと結論を見届けたいとは思います。
後世に伝える教訓
事故当初より学校や栃木県教育委員会、高体連は後世に教訓を何も残さないような対応を続け、事故をなかったことにしようとしてきました。世の中の理不尽さを呪い、何一つ反省もなく、何一つ教訓を残そうともしない学校、教育委員会、高体連に絶望しました。
何の教訓にもならない形だけの処分、形だけで何もしない再発防止策、事故の総括もない高体連、教育長や教員ではなく生徒に安全を誓わせた追悼式、そして名も刻まれず「命」などという碑銘で事故をなかったことにする非常識な慰霊碑..
それが2年前までのことです。
その当時のことを思えば現在は事態はずいぶん好転したような気がします。
5年という年月を思えば乏しい成果と言えるとは思いますが、再発防止策には進捗があり、教員の技量に頼らない登山の制度が少しずつ整い始めています。慰霊碑も名も刻まないなどという非常識なものではなく遺族の気持ちに配慮した真っ当なものが建立されます。追悼式も慰霊碑が建立された大田原高校で開催されるようになりました。
那須雪崩事故は単なる自然災害や山岳事故ではなく、学校管理下で発生した部活動の事故であり人災であったということを、正しく後世に伝えることができるのではないかとの希望を抱いても良いのかもしれません。
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