遺族は納得していません。 通知が守られず事故が発生したこと、それが問題視されていないこと、そこに対策がないまま再発防止策が作られること。

卒業式

今日3月1日は栃木県立高校の卒業式です。

事故当時高校一年生だった息子も生きていれば卒業を迎えていました。

卒業証書と卒業アルバムを頂けるよう大田原高校にはお願いしてあり、卒業式後に頂ける運びとなっております。私自身の思いとしては、卒業証書をもらえてももらえなくても気持ちに収まりはつきませんので急ぎはしません。

卒業証書を頂けなかったとしたら「自分たちの中で息子はずっと高校に通っていた。学校はその気持ちを汲んでくれないのか。」と言うかもしれません。頂けたとしても「あなたたちのせいで息子は一年しか高校に通えなかった。学校に通いたくても通えなかった息子をあなたたちは無理やり卒業させて縁を切ってしまうのか。」と言ってしまうかもしれません。

ずっとこのまま大田原高校に通い続けて欲しいと思う一方、卒業式が終わって同級生が誰もいない学校に寂しく通い続ける息子を想像すると寂しくて泣けてきました。同級生が卒業するのにいつまでも高校に通い続けるのは酷なことかもしれません。

最近、遺影の中で笑いかける息子の姿が幼く見えるようになってきました。
心の中にいる息子は成長を続けており、その成長した息子の姿を想像して遺影の中の高校1年生のままの息子が幼く見えてしまったのかもしれません。少しおっさん臭く成長した息子は高校3年生になっているのでしょう。

だからきっと成長した心の中の息子も同級生と一緒に大田原高校を卒業してくれると思います。

生きていればどのような人生を歩んだのでしょうか。卒業してどこに羽ばたいたのでしょうか。

成長していく姿をずっと見ていたかった。
なぜこの場にいないのか、なぜこんなことになったのか、いつまでも納得することはできません。


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