遺族は納得していません。 通知が守られず事故が発生したこと、それが問題視されていないこと、そこに対策がないまま再発防止策が作られること。

2017年3月27日に発生した那須雪崩事故の遺族・被害者の会のホームページです。

那須雪崩事故は死亡者8名、重軽傷者40名の学校管理下では最大級の事故でした。

那須雪崩事故について

今まで通りに

主張

 栃木県教育委員会や栃木県高校体育連盟の方々とこの一年何度かやり取りする機会がありました。いつも感じるのは、彼らができるだけ事を大きくせず、今まで通りのやり方を変えずに済ませようとする熱意でした。その熱意を別の方向に向けてもらいたいと願っています。

再発防止の進捗

 栃木県教育委員会に対し、要望書とは別に以下のような質問をメールでいたしました。

「那須雪崩事故を教訓とした学校安全のための取組」に記された登山に関するそれぞれの項目の担当者、方針、具体的実施内容、計画、進捗を資料にてお知らせください。

 その回答として、以下のような資料が送られてきました。

 1月に発表された「那須雪崩事故を教訓とした学校安全のための取組」以来、県教委からはなにも説明がないので、何をしてどこまで進んでいるのか全く様子がわかりませんでした。本来、私たち遺族だけでなく、栃木県民すべてに説明すべき内容のはずですが、全く説明されるそぶりもありませんでした。

 それでもこの送られてきた資料によって34項目にもわたる取り組みについて、担当や実施状況がわかる資料がようやく示されました。検証委員会の提言に基づき広い範囲で対策を実施しており一定の評価をすべきものだと思います。しかし、何故誰の目にも触れさせず、コソコソと実施するのでしょうか。

自分たちを信じている

 教育委員会は自分たち自身を信頼しており、外部の意見を聞かなくても自分たちで物事を決めることができ、その内容も誰にも説明する必要がないと思い込んでいるように思えます。これだけの重大事故を引き起こしているにも関わらず、その自信はどこから来るのか理解できません。

 また、顧問の先生方にも厚い信頼を置いているようで、数々の研修を受けさえすれば今まで通り山岳部の引率ができると考えているようです。

 事業内容の登山アドバイザーの派遣事業についての表記の一部を見てみるとこう書いてあります。

 県外の山を引率する際は顧問の先生が単独で生徒らを引率することは難しいため山岳ガイドなどのアドバイザーが必要だが、県内の山での引率は問題ないと考えているようです。

 今回の事故は、「登山歴の長いベテランの顧問」が、「県内の山」で引き起こした事故です。研修づけにした顧問が単独で県内の山で生徒らを引率できる根拠はどこから来るのでしょうか。今回の事故の反省から導き出した結論とは思えません。

「今まで通り」が最優先

 彼らの言い分や再発防止策を見ていると、安全のチェックや顧問の先生方への講習は増えていますが、部活動や大会のやり方は根本的には変えないで済ませようという意思を感じます。「安全性を一から見直した結果、結果的に今まで通りのやり方で問題がなかった」ということではなく、「今まで通りのやり方を変えない範囲で問題がないと言うためにはどうすればよいか」をずっと考えているように思えます。

 安全性を犠牲にしてでも、「今まで通り」の部活動ができるように、「今まで通り」の大会運営ができるようにということを最優先として再発防止策と規則を作っているように感じます。

審査不要の抜け道

 例えば、先日ようやく撤廃された「標高1,500m以下への山への登山は登山計画の審査不要」という基準です。

 那須雪崩事故は標高1,500m以下の地点で発生しました。また、事故を引き起こした講習会は登山活動ではないという理由で長年審査を免れていました。
 事故を反省するならば審査の抜け道を作るこの基準は、即時撤廃すべき基準でした。

 しかし、この基準は事故からほぼ一年経った2018年3月22日の通知を持ってようやく廃止となりました。遺族からは去年の夏以降、この基準を撤廃し、すべての登山活動を審査対象とするよう再三県教委に求めていました。県教委からは「検討します」と言われただけでいつまでたっても撤廃されず、事故から一年後の廃止となりました。

なぜ撤廃できなかったのか

 なぜすぐにこの基準を撤廃できなかったのかのでしょうか。撤廃してしまうと県下の高校で登山活動ができなくなってしまうと県教委が判断したからと考えられます。

 わざと抜け道を残しておいたのです。安全性を考慮したならば即時撤廃すべき基準でしたが、都合を優先してしまったのでしょう。

 事実昨年の秋から12月にかけて、栃木県下の高校山岳部は登山計画の審査も経ずに登山活動を実施していました。事故から一年も経っていないにも関わらずです。複数の高校山岳部で登山が実施され、大田原高校も登山活動を実施していました。この基準を基に、審査を受けずに1,500m以下への山への登山活動が実施されていたようです。

 本来ならしっかりと審査を受けて登山活動を実施するか、審査を受けられないのであれば登山活動自体を中止すべきでした。きっとこの時期に登山計画を審査する登山計画審査会の開催が予定されていなかったため、規則を撤廃すると登山活動ができなくなり、そのため規則の撤廃を躊躇したのだと考えられます。新たに登山計画審査会の開催を調整するか、登山活動自体を中止するか検討するべきでしたが、できるだけ何もせずに、今まで通りの活動をしたかったのでしょう。

 まさに、できるだけ何もせず、安全を犠牲にして「今まで通り」の部活動ができるよう、再発防止策と規則を作っている典型だと思います。

 安全性を評価して登山活動が困難と判断されるのであれば、登山活動を中断し、しっかりとした対策ができるまで再開すべきではないはずです。
 都合で規則や原則を捻じ曲げたり、対策を先延ばしにすべきではありません。

溝は埋まらない

 先日述べた熱中症対策の話もそうだと思います。

 熱中症に対して生徒らの安全を考えるのであれば、大会を中止するための酷暑日の基準を設けるべきです。しかし、曖昧な表現で何も定められていません。基準を定めてしまうと大会運営に支障が出るかもしれないためです。これも安全を犠牲にし、「今まで通り」の大会運営ができるようにということを最優先にした結果と考えられます。

 「今まで通り」を貫き通そうとする県教委や高体連と、「変わってもらいたい」と願う遺族・被害者の溝はいつまで経っても埋まらない気がします。

何かを変えましたか?

 安全のために何かを変えたという点では唯一、登山のインターハイ予選を5月から6月に変更した点が挙げられます。時期をずらし、開催場所も残雪のない低山とすることによって「冬山には登山しない」という原則を貫いており、評価できる点だと思います。

 しかし、「冬山登山について、例外的に実施する場合の登山部の活動については、その是非を含め、外部有識者等の意見を聴取しながら今後方針を示す」という曖昧な教育長のコメントもありますので、「冬山には登山しない」というその原則がいつまで貫かれるかはわかりません。

 他の競技についてはどうでしょうか。

 安全性を見直したとされる「危機管理マニュアル」を作成する過程で、部活動や大会の開催について何か変更したことがあるのでしょうか。そう尋ねるときっと「安全性を一から見直した結果、今まで通りのやり方で問題がないことが確認できた。さらに安全に関するチェック項目を増やし、万全の対策とした。」とか言われるのでしょう。本当なのでしょうか。

 熱中症対策だけを見ても安全性を犠牲にして「今まで通り」を優先しているように見えますし、他の項目についても同様のように思われます。今後の部活動において熱中症等で倒れて重大な事態に至る生徒が出たとすれば、この曖昧な「危機管理マニュアル」を作成した栃木県高体連とそれを許した栃木県教育委員会の責任だと思います。

「今まで通り」を捨て去って

 このような組織の体質と教諭らの怠慢のために、息子らは人生を断ち切られ、私たち遺族は死刑より重い仕打ちを受けて人生を変えられてしまいました。

 息子や私たちには「今まで通り」の人生なんてもうありません。

 なぜ、これほどの事故を引き起こしたにも関わらず、県教委や高体連は「今まで通り」で良いと思っているのでしょうか。そして3ヶ月と5ヶ月の停職処分を受けた引率した先生方も、停職が明けると「今まで通り」の生活に戻るのでしょうか。

 県教委や高体連、高校や顧問の先生方にも生徒の安全を第一に考えて「今まで通り」を捨て去り、変わってもらいたいと願います。


コメント

  1. smith より:

    教員は、公務員という立場によって、個人が守られており、結果、モラルハザードを起こしていることが、根幹にあると感じます。教員が、どのような事故を起こしたとしても、裁判では国家賠償法によって、個人ではなく、システムの不備を問うようなものになります。それゆえ、個人は組織の背後に隠れ、その説明責任さえ、果さないのです。それは報道等においても、教員の不祥事においては、その多くで氏名が報道されていないことにも現れています。
     
    個人がシステムの背後に隠れているからこそ、建前だけの、体裁だけの、名目だけの安全対策をしておけば、それで許されると考える。

    事故から1年以上という短くない時間を経て公開された「危機管理マニュアル」の雪崩に関わる記述の素人さ加減は、怒りを禁じえません。8名もの人命が失われたにも関わらず、高体連は、まじめに雪崩のことを勉強さえしていない。度し難い無責任さ。

    自分たちに知識や専門性がなければ、外部から学べばいい。それをしていれば、あのような内容になるはずがない。なぜ、それをしないのか。先の大阪北部地震であったブロック塀での事故のように、専門家の指摘があっても、それを無視し、素人の自分たちが安全チェックをして、良しとする。ここには、本当に度し難い独善性がある。

    謙虚でいない限り、自然の中では生き残れません。謙虚さの欠片もない教員に、山は向いていません。