遺族は納得していません。 通知が守られず事故が発生したこと、それが問題視されていないこと、そこに対策がないまま再発防止策が作られること。

教育長との意見交換

 お盆も過ぎました。
 ついこの間田植えがあったかと思ったらもう稲穂が垂れ、実りつつあります。
 心の中の時間は止まっていますが、季節は流れていきます。
 あの日以来、今が夏なのか冬なのか、何月なのか即答できなくなりました。
 稲の生長だけが季節を感じさせてくれます。

教育長の弔問

 お盆の間にはたくさんの方が弔問に来てくださいました。ありがたく思います。
 教育長も弔問に来てくださり、その際に一時間ほどお話しさせていただきました。

 教育長からは以下のようなお言葉がありました。

「県教委は提言に基づいて再発防止策を実施している。」
「雪上活動の検討も提言に基づいたものである。」
「冬季の登山再開については低山で日常的にトレーニングしている学校もあるための措置。低山に限って許可するつもり。」

 私の方からは以下のように伝えました。

「再発防止策は一定の評価はできるが、提言の内容を形式的にこなすだけで精いっぱいのように見え、肝心な制度設計がなされていない。」
「制度設計がなされていない中で冬季の登山や雪上訓練の是非を議論するのは時期尚早。規則を作ってもそれを守るための制度がない。」
「冬季の登山や雪上訓練の意義を山岳関係者が長となる登山計画審査会で議論するのはおかしい。登山活動としてだけではなく部活動として実施する意義があるのか議論が必要。」

再発防止策の印象

 再発防止策は事故後に発足した検証委員会の提言に基づいたもので、34項目にもわたる事業計画が提示され、一定の評価はできると考えています。検証さえされない事件・事故が多い中で、検証委員会によって事実関係が整理され、提言に基づいた再発防止策も策定されています。

 しかし、それだけで満足するわけにいきません。
 県教委の再発防止策は、検証委員会から出された宿題をこなすだけで精いっぱいの学生のように思えます。宿題をこなすだけでは学力は向上しないのと同様に、宿題をこなすだけでは部活動の安全性は向上しません。

 私たちは「安全性を向上するためにはどのような施策を実施すべきか」と問い質しているのに対し、返ってくる答えは「出された宿題を一生懸命こなしています」というものに聞こえます。おまけに何の議論もなく冬季の登山再開を決定したり、雪上訓練の実施を決定しようとしている点を見ると、「宿題はこなしたので遊びに行っていいか」と言われているような気がしてなりません。

制度設計

 冬季の登山については学校の近くにある低山に、トレーニングとして日常的に登る学校があり、それは危険性が小さいので許可したいとのことでした。積雪や降雪があった場合は当然登山活動は実施しないとも言われました。雪上訓練についても同様に、緩やかな傾斜での活動に限って議論しているとのことでした。

 しかし、低山の定義や登山可能の時期、緩やかな傾斜の定義は何も示されず、何を基準に決めようとしているかも語られませんでした。
 また、そういった基準を決めたとしても、その基準をどのように各校と顧問の教諭らに守らせるのかといった制度設計も何も決まっていないようでした。

 雪上訓練については、部活動として講習会の在り方を議論する必要も感じます。今後講習会を実施するとしたら今まで通りできるのか、顧問が講師を務める現在のやり方が正しいのか、講師は外部の専門家を活用すべきではないのか、そもそも登山専門部で講習会を主催する必要があるのか、など雪上訓練の前に議論すべきことはあるはずです。

 冬山登山に関する規則がある中で規則は無視され、安全講習会という本来安全を指導する場で今回の事故は発生しました。講習会という名称を隠れ蓑として登山計画審査会の審査も長年免れてきました。

 今回の事故の反省に立つならば、例外を認めないように低山や傾斜・登山可能な時期の基準を明確に決定すべきです。そして、その基準を顧問らに守らせるための制度設計がなされるべきです。

 そういった基準も制度設計がないまま冬季の登山や雪上訓練の是非が議論されている自体おかしなことだと感じます。

反対の意見

 学校のそばにある雪のない低山への登山に対して目くじらを立てるのはどうかとは思いますが、制度設計もない中でその点だけを抜き出して是非を問われると「反対」と言わざるを得ません。
 登山できる山と時期の基準を明確にし、その基準を守るための制度設計がなされて初めて議論できることかと思います。

 また、雪上訓練についても、部活動における講習会の在り方も議論されないまま雪上訓練の是非を問われるのであれば「反対」と言わざるを得ません。

 教育長にはそのようなことを伝えました。

 まだ意見の相違はありますが、お互い歩み寄って密に意見交換させていただきたいことも伝え、その点は同意いただけました。
 その点はありがたかったと思います。


コメント

  1. SMS-metal より:

    戦時において、運送会社の課長が徴兵されると、日本では他と同じく一歩兵として均一な訓練をさせられ、一方、米国では補給部隊のマネジメントに配属される。また、公聴会という制度をとっても、米国ではとても幅広い範囲から人を呼び、話を聞き、それを判断の重要情報とする。呼ばれる人は、一般企業から関係組織までとても幅広い。日本では、同様の制度が戦後導入されたが、参考人制度へと変わり形骸化した。参考人の発言は重視されず、それ以前に狭い関係者の間だけで、判断が固まっている。
      
    これは「国が違う」からではなく、「ゴールは何か」を考えているか、いないか。ある問題に「完璧な答え」などない、だからこそ、ステークホルダーから様々な意見・考えを聞き、目的を達すには、何がよりベターであるのかを考える、という「リアリスティックなプラグマティズム」があるか、ないか。
     
    高体連と県教委が、もし、本当に、取り返しのつかない事故を起こしたという「事実」を痛切に感じているのであれば、よりベターな答えを求め、多様な意見・考えを聞こうとするはず。なぜ、それをしないのか。地元のアマチュア登山者だけで話を進めようとするのはなぜか。
     
    ゴールではなく、体裁を整えることしか考えていないのではないか。だから、とりあえず、肩書をある人を集めておけばいいだろう、ということ。そのような態度の「役所=県教委」と「役人=地方公務員=教員」が、制度設計しても、実効性を持つ=有機的に機能する、には、なるわけがない。今からでも遅くない。高体連と県教委は、胸襟開いて、地元のアマチュア以外からも話を聞くべき。
     
    このままいけば、15年以内に、再び大きな高校生の事故が起きる。場所は長野県。今の長野県のやり方はよろしくない。
     
    終戦の季節に高校野球の惨状を見ながら。
     

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