先日5月17日に、教育委員会に赴き、遺族と栃木県教育委員会で再発防止策について話し合いの場を持ちました。県教委側の学校安全課の3名と遺族3名で話し合いました。
再発防止策全般について話すといくら時間があっても足りないので、登山計画審査会の審査対象と、登山アドバイザーの派遣といった点に議題を絞って話をいたしました。
その場で登山アドバイザーの積極的派遣、登山計画審査会の審査結果概略と登山実施の結果のWEBでの公表、登山専門部に対して規約を策定するよう指導、等いくつかの結論を得て建設的な話し合いをすることができました。
しかし、話し合いでの言葉から感じるのは、彼らの事故に対する認識の甘さです。
「那須雪崩事故は防ぎようのない不運な事故だった」
「対策なんてしなくても、もうあんな事故は起きる訳がない」
「あまり厳しく規制してもしょうがない」
「遺族は面倒なことばかり言ってくるので話を聞かなくてもよい」
言葉はなくても彼らの考えていることは伝わってきました。
合理的に進めるために遺族の願いであっても「やらない」
4月19日に開催された登山計画審査会について、審査対象の登山の基準について意見しました。
その中で、悲しい言葉を浴びせかけられました。
申請された21件の登山計画のうち4件しか審査しないという基準はおかしい。全数審査するなど見直しが必要なのではないか。
全数審査するのは合理的ではない。登山計画審査会を合理的に進行するため、現在の基準を見直すつもりはない。
講習会だから審査は不要という抜け道を使って春山安全登山講習会は審査を免れた。それが那須雪崩事故発生の大きな要因であったはず。
抜け道を防ぐため、全数審査すべき。
事務的な項目は県教委がチェックし、専門家が山行について確認するといった簡易的な形であってもよい。登山の専門家に目を通してほしい。
合理的でない。大平山や古賀志山への登山を審査する必要はない。
昨年は全数審査していた。できない訳ではないはず。
登山計画審査会の委員にお願いするのを躊躇しているだけのように見える。
遺族の願いだと伝えて実施していただけないか。
登山計画審査会を合理的に進めるため、遺族の願いであっても「やらない」。やろうと思えばできる。できない訳ではなく、「やらない」。
遺族の願いよりも登山計画審査会の合理的な進行を優先すると明言されてしまいました。
これほど衝撃的で悲しい言葉を栃木県教育委員会から浴びせかけられるとは思いませんでした。なぜこれほどの言葉を浴びせかけられ、それに耐えなければいけないのでしょうか。
この発言をした県教委の方は、発言のあとも平然としており、発言を撤回することもなく、議事録にこの発言を残すことにも同意いただけました。「遺族の願いよりも効率を優先する」という考えは栃木県教育委員会内で共有されている考えなのでしょう。効率に影響を与えない要望であれば拾っていただけるのかもしれませんが、今後遺族の言葉は県教委に届くことはないだろうとあきらめを抱くのには十分な言葉でした。県教委は遺族の言葉を聞く気がないようです。
那須雪崩事故の発生前であれば、県教委の主張にも一定の合理性があったのかもしれません。低山への登山計画をいちいち専門家に目を通してもらうことは、手間ばかり掛かって意味のないことだと言われても納得できたかもしれません。
しかし、登山計画審査会の審査を免れ、登山を中止すべき悪天候の下、安全なルートがいくつもある中でわざわざ危険なルートを選択して那須雪崩事故は発生しました。那須雪崩事故の反省を起点として考えたならば、審査を免除する対象の登山をできるだけ少なくし、顧問教員が無茶をしでかさないように厳しく監視する必要があると思います。
審査を免除するのであれば、その基準を見直すとか、過去の事故の実績を調査して安全なルートであることをしっかりと確認するとか議論すべきことがたくさんあったはずですが、「見直しはしない」との一点張りで議論してもらうこともできませんでした。
先ほど述べた通り、今回の県教委との話し合いで確かにいくつか建設的な話し合いをすることはできました。その点については感謝しますが、根底にある県教委の事故に対する認識があまりに私たちの思いから乖離していることも再認識できました。今後も安心して任せることはできません。一つ一つ栃木県教育委員会のやることを監視し、声を上げなければいけないと改めて感じました。
防ぎようのない事故だったのか
栃木県教育委員会の言動から、彼らは那須雪崩事故は防ぎようのない不運な事故だったと考えているように感じます。防ぎようのない事故だったのだから、山岳部の活動を制限したり、厳しい規則を作ったりすることには意味がなく、文句を言われない程度にやっておけばいいとの考えが透けて見えます。
ずっと県教委の那須雪崩事故に対する認識がどのようなものであるのか理解できずにいましたが、教育委員会と知事が教育について討議する総合教育会議という場での栃木県知事の発言を拝見し、その発言が県教委の事故に対する認識を表しているように思えました。
○福田知事
各学校で伝統行事というのがあるんですけれども、私の母校でも当時マラソン大会があって、富士見小学校から鹿沼の工業団地を往復するものでした。たまたま私が2年生のときの3年生が心臓麻痺で亡くなってしまった。何で倒れてるのかなと思いながら走った思い出があります。結局校長が、もうマラソン大会はやらないと言って中止になって、次の年から球技大会になった。生徒の意見を聞いたわけでも何でもない。校長の判断だと思います。
確かに事故があってはいけないけれども、しかし防ぎ切れないものもあると思います。鶴の一声で伝統行事がなくなると、生徒としては残念だなという思いが今も残ってます。ですから、学校行事、伝統行事は一時のことでなくしてしまわないようにするためにも、安全管理をしっかりやってもらいたいと思います。
福田知事の発言は那須雪崩事故に対する認識を発言しているものではないので、知事の言葉に対して非難しているわけではありません。しかし、県教委は那須雪崩事故に対してこの発言にあるような認識でいるのではないかと思えてなりません。
那須雪崩事故は防ぎきれない、防ぎようのない事故ではありませんでした。
間違いなく防ぐことのできたはずの事故です。
漫然と場当たり的な判断を長年続けてきた登山専門部、自身の能力を過信した山岳部顧問、部活動の安全に対する意識をもてなかった栃木県教育委員会の怠慢によって事故は発生してしまいました。栃木県教育委員会にはそういった意識もなく、「防ぎきれない事故だった」と簡単に割り切ってしまっているように思えます。
また、知事が述べられている心臓麻痺で死亡者が出たマラソン大会については当時は「防ぎきれない事故」とできたかもしれませんが、現在ではそうは言えないでしょう。熱中症や事故防止対策は当然のことですが、さらに心臓麻痺の子が発生する前提でAEDを準備し、それを使用する訓練を事前に実施することぐらいのことは求められるでしょう。現に東京マラソンではそのような対策を実施しています。2016年までの9回の大会で心肺停止状態になったランナーが7名おり、その7名すべてがAEDや心肺蘇生法によって命を救われています。
部活動も、登山活動も、伝統行事もなくさないようにしなければいけないのかもしれません。
しかし、それは抜け穴のない十分な安全対策を実施した上で議論すべきことで、その前提のないまま続けることだけを考えるべきではないと思います。
那須雪崩事故は防ぎきれない、防ぎようのない事故ではなかったのですから。
コメント
『登山計画審査会を合理的に進めるため、遺族の願いであっても「やらない」。やろうと思えばできる。できない訳ではなく、「やらない」。』栃木県教育委員会の見解(発言)。
信じがたい発言です。
「やろうと思えばできる。できない訳ではなく、」
なぜ、やろうと思わないのでしょうか。できない訳ではないのにやらない。つまり、面倒くさいからやらないんだと、私は解釈しました。教育者、教育関係者がこういうことを言うのですか。
遺族の願いは、すなわち亡くなった8人の願いだと思い至らないのでしょうか。遺族の願いを無視した訳ですね。素人は黙ってろと言ってる、と解釈しました。
もっと書きたいのですが、整理できません。また投稿します。