遺族は納得していません。 通知が守られず事故が発生したこと、それが問題視されていないこと、そこに対策がないまま再発防止策が作られること。

2017年3月27日に発生した那須雪崩事故の遺族・被害者の会のホームページです。

那須雪崩事故は死亡者8名、重軽傷者40名の学校管理下では最大級の事故でした。

那須雪崩事故について

この事故の教訓とは

主張

 いくら願っても息子はもう戻ってきません。

 願っても戻らないのであれば、2度と再びこのような凄惨な事故を引き起こさないようにこの事故の教訓をしっかりと施策や仕組みとして形あるものに残してもらいたい、そして反省と今後の生徒らの安全を誓っていただきたい、遺族の願いはただそれだけです。

 先日、那須雪崩事故遺族・被害者の会で会合を持ちました。
 その中でこの事故の教訓として、形ある結果を残したいとの意見で一致いたしました。

 大会や講習会の運営方法を見直し、外部指導者を積極的に活用するなど部活動の在り方が変わり、部活動の顧問の先生方が緊張感を持って生徒の安全を第一に考えるような仕組みをつくっていただきたい。この事故を契機にそのような仕組みが生まれ、部活動での生徒の安全がしっかりと守られるようになったと後世で語られる、そうなることを願っています。

何も残らない

 しかし、今のままでは何も残りません。県教委の施策として数多くの対策と呼ばれるものが実施されているようですが、5年後10年後を考えたとき、形あるものとして何かが残るとは思えません。

 検証委員会の提言を受け、栃木県立なす高原自然の家に事故の記録を記した慰霊の場が設置されるようです。しかし、そんな形だけの場は数年も経てばホコリをかぶってだれも見向きもしないようになるでしょう。そんなものを残してほしいわけではありません。

 県教委が打ち出す対策の骨子は、経験の少ない顧問教諭らにさまざまな講習を受けさせ、数々のマニュアルを作成することで安全を確保することとなっています。しかしそれだけで事故の対策になっているとは思えません。顧問教諭らに県教委や文科省から出された通知や作成されたマニュアル類をしっかりと守らせるなどの制度設計はなされたのでしょうか。何もなされていないように思えます。

 大会や講習会の運営方法も見直されたわけでもなく、県外の山の登山のみ山岳ガイドなどの外部指導者がつくことになっています。とても部活動の在り方が変わったとは思えません。

 この事故に対する関係者への懲戒処分も今後の教訓となるものではありません。
 生徒教員8名も死亡する凄惨な事故を引き起こしたにもかかわらず、現場の責任者も、講師も、教員も、学校長も、高体連も、教育委員会も、教育長も誰も責任を取っていません。
 最大でも停職5か月の処分であり、これだけの事故を引き起こしても元の職場で元のように教師生活に戻ることができたという結果だけが後世に残ります。
 事実、講師として1班を引率した教諭は先日5か月の停職が明け、元の職場に復帰されたとのことです。

 このままでは「教員の身分は強固に守られており、規則を無視し、安全確認を怠って部活動で複数名が死亡する事故を引き起こしても、元の教員生活に復帰することができた」という結果だけがこの事故の教訓となってしまいます。

 今後の部活動の安全に緊張感を持たせるどころか緊張感を緩ませてしまう、このような結果だけは許容することはできません。

この事故の教訓

 この事故はベテランの顧問教諭が、自分たちの経験を過信し、冬山登山に関する通知や規則を無視することによって引き起こされた事故です。

 この切り口から顧問教諭らに対して得られた教訓は、以下の2点だと考えます。

1)いくら経験があっても山岳部顧問は所詮アマチュアであり、教師である顧問が部活動での登山活動を単独で引率することは困難

2)立派な通知やマニュアルをいくら作成しても、性善説に則って顧問教諭らがそれらを守ることを期待することはできない

 このような教訓があるにもかかわらず、県教委は顧問教諭らに相変わらず単独で登山活動を引率をさせようとしています。

 また、未だに誰も責任をとろうともせず、懲戒処分規定の見直しもなされていません。こんな緊張感のない状態でいくら立派な通知やマニュアルを作成しても無意味だと考えられます。

教訓の形

 顧問教諭の引率だけでの登山は困難であることを認め、教育関係者だけでなんとかしようとせず、山岳ガイドなど外部指導者の力を借りることが部活動の在り方を変える第一歩となると思います。

 また、当日引率した教諭と講習会開催を決定した責任者、長年危険な状態を放置し続けてきた教育委員会の長である教育長は、辞職することによって後世に教訓を残すべきと考えます。

 そして、安全確認を怠ることによって生徒を死に至らしめた教員は免職とするよう懲戒処分規定を見直し、今後の学校管理下での生徒の安全性確保に緊張感をもたせるべきです。

 事故の教訓をそのような形ある施策や結果に残していただき、この事故を契機に部活動での生徒の安全がしっかりと守られるようになったと後世で語られるよう、切に願います。


コメント

  1. 瀬下吉政 より:

     二つの教訓を引き出したのは立派だと思います。ただその先教訓を基に、部活としての冬山登山を安全に行う為の制度設計ができると考えるのは無理だと思います。自然も人間も予測出来ない事が多いからです。
    山に入る以上事故が無くなることはないのです。

  2. SMS-metal より:

    一般登山者が山で大きな遭難事故を起こし、公的な救助隊が動くと、多くの場合、テレビや新聞記者の前で、遭難の状況について話をすることになります。事情聴取を行った警察署が、記者会見をセットしていることもあります。警察は「記者会見は任意」という態度を建前として取りますので、それを行うかは当事者の事故に対する道義的なものといえます。
      
    今回の件で、極めて不快なのは、現場にいた2名の経験あるとされる教員が、状況について、一切、報道機関の前で話をしていないことです。事故から1年が経ち、やっと少しだけ口を開きましたが、まったく十分とはいえまえん。組織論の観点からみれば、事故直後において、報道機関に対して、窓口を一本化しておくことは、余計な混乱を生まないために必要な措置ではあります。しかし、中間報告書が出た時点でさえも、それを一切しなかったということが、まったく理解できません。
      
    今回の事故では、救助活動において膨大な社会的リソース(つまり、我々の税金)が投入されました。それに対する道義的かつ社会的、そして説明責任があると、高体連と県教委は理解していないのでしょうか。検証委員会の報告書から透けて見えるのは法的責任だけです。
     
    道義的責任も、社会的責任も、説明責任も果たさない。そして、法的責任しか考えていない組織ならば、それに見合った措置として、教員の懲戒処分規定を厳格化するのは、教員を管理する上で良い方法だと思います。

  3. AAA より:

    優れた知識、技術、経験を持っていても山で判断を間違う人はいます。
    逆にそれらを持ち合わせていなくても的確に判断できる人もいます。
    山での判断(山に限らないかもしれませんが)はそのひと個人の人間性によるものが大きいのです。
    有資格の山岳ガイドでもヤバい人は珍しくありません。
    那須で引率した教師陣の人間性は、その後に社会的責任をとったかどうかで既に明らかです。
    教訓としては、「まともな人を指導者とする」、という全く現実味のない話になります。

  4. 英治 より:

    この『春山安全登山講習会』に参加した生徒、その親は学校(=教員)を信頼していました。当たり前です。こんな事を欠くのも馬鹿げているくらい当然の事です。教員は生徒を守る、安全第一で行動し、行事を終える。生徒も親もまた教員自身も確認するまでもなく当然の事として改めて意識する事も無いくらい「当たり前の事」です。
    講習会を終えて帰ってきたその晩は講習会の話しをしながら夕飯を食べられるはずでした。8人の生徒教師とその親は時間が止まってしまいました。その責任を取る、或は処分を下すと言った事にならないのは全く不合理です。
    教育長以下、現場の責任者に至るまで懲戒免職とすべきではないでしょうか。給料の10パーセント減、停職5ヶ月で一体誰が納得しますか?
    検証委員会の方々もそう思っているのではないでしょうか。
    また県立なす高原自然の家に慰霊の場をもうける案が出ているそうですが、もし設置するのなら大田原高校の玄関にすべきではないでしょうか。
    ご遺族の皆さんはストレスがたまる一方のように思います。皆様どうぞご自愛なさいますように。

  5. Tanzawa より:

    神奈川県で登山を趣味としている者です。
    今回の事故では最愛の御子息を亡くされましたこと、心よりお悔やみ申し上げたい
    と思います。

    この事故の教訓とは、まず第一に
    教師(学校)なんぞに子どもの命を預けてはいけない
    ということになるのではないでしょうか。
    20年以上も前の本でご存じない方も多いと思いますので、以下の書籍を
    紹介したいと思います。
    「リーダーは何をしていたか」(本多勝一著, 朝日新聞社刊, 1997年)
    この本では、1980年前後に起きた高校や高専の部活での事故を主として取り上げて
    おり、引率者の責任を厳しく問うています。同書p.91から引用します:
    — 引用開始 —
    登山というスポーツは、陸上競技や水泳や相撲のように観衆の面前で客観的
    実力が示されることがないので、一人よがり・自称ベテランが生まれやすい。
    悪意はなくても「自らの無知に気付かぬ無知」が多い。高校山岳部のように
    全くの初心者が多いところで、そうした顧問が実質リーダーとなって冬山・
    春山へ行くとき、何も知らぬ親は「ベテランの先生が行くなら」と疑問も
    持たぬ。生徒が先生の見識に疑問を抱いても口にできぬ「日本的山岳部」の
    情況も恐ろしい。(中略)このままでは、また次の「高校山岳部大量無残死」
    が発生しよう。
    — 引用終了 —
    この文章、元々は1982年1月25日の朝日新聞朝刊に掲載された記事です。つまり、
    新聞記事から35年後に悲しくも本多氏の予言が的中したことになります。

    学校(そして高体連や文科省)なんぞに再発防止策などを期待するのは無駄、
    というのがふたつ目の教訓ではないでしょうか。
    登山活動における事故の再発を防止するための第一歩は、教師(学校)とは
    無関係に活動をすること、そう私は考えています。

    長くなりましたのでこれくらいで。ご質問等ございましたら回答致します。